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July30.2006

29日から30日と日本海へ。ここんとこ3年ぐらい行ってる『宮津』だ。
友達の家の実家があって特に気兼ねするようなヒトらではないのでしつこく押しかけている状況。
これまでの長雨のおかげで浜には流木なんかが死ぬほど打ち上げられていた。例えば『浜』のキレイさでもっている観光地であれば、さっさと除去するようなもんだけどここはアバウト。ぜんぜんお構いなしでかなり見た目に汚い。
でもかなり浜に打ち上げられているので海はきれいになっていました。
こどもも3歳のときはかなりびびっていたのが、今年はひとりでも突っ込んでいく勇敢ぶり。成長している。

今年はあと2家族が一緒に来ており、『エアガン』と『ラジコン』と『釣り』をたっぷり愉しんだ2日間だった。まずは夏休みの思い出一丁上がり。

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明日は海だ!わーい♡
ということなら、このあたりははずせない。夏の定番マイアミサウンドマシーン。グロリア・エステファンをフィーチャーする前の音はバンドの個性が出ていて楽しい。80年代の青春映画の挿入されるイメージカット(ドライブシーンとかの)ワンシーンのような晴れた天気だといいですな・・・・。雨らしいけど。

関西では、きれいな海を求めると日本海になる。和歌山の海もよろしいですな。瀬戸内の海は波がなくてワタクシ的にはもひとつ。子供づれで別に波乗りするわけではないけど、波は高いほうが良し。プールじゃないんだからね。

Estefan's first public musical performance was at a large Cuban wedding when her future husband, Emilio Estefan, Jr., asked her to join Miami Sound Machine in singing.

Her appearance was well-received and, a few weeks later, she became the lead singer for Miami Sound Machine, which performed and recorded in Spanish in the early years of its existence. The Miami Sound Machine soon gained a large fan base and released an LP in 1977. It was the first all-Spanish album from CBS International.

With Estefan on vocals, The Miami Sound Machine had its first English-language hit with "Dr. Beat," which topped the dance charts across Europe, from the album Eyes of Innocence, in 1984. Primitive Love was released in 1986; "Conga", "Bad Boy", and "Words Get in the Way" were crossover hits. The song "Hot Summer Nights" was also released that year and was part of the blockbuster movie Top Gun.

Estefan's next album, 1988's Let It Loose, went multi-platinum, with several million copies sold and the following hits: "Anything For You" (#1 Pop), "1,2,3" (#3 Pop), "Rhythm Is Gonna Get You" (#5 Pop), and "Can't Stay Away From You" (#6 Pop and #1 Adult/Contemporary).


このアルバムではBAD BOY と CONGAがメジャーなヒット。次のアルバムがホントは乗りもいいしイキイキした感じが出てるけど、今日はこのあたりで。気分を高めつつ。仕事をしてます。(まだやってんだよ!)

月曜日にプレゼンの資料作りがはかどらないノダ。だめだ。やばい。
パース屋が12時にはパーフェクトにあげるみたいなことヌかしながら泣き事いいました。これだから名古屋の業者はって言われるんだよっ!
がっかりだよっ!
大丈夫なんだろうか?海にいってるバヤイじゃないのか?もしかして?

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July28.2006
鬼の出張3daysがひとまず終了。でも実はちょっとした中休みというだけ。来週の月曜は岐阜で銀行さんにプレゼン。その資料は今日つくらねばならない。やば━━━━(;゚Д゚)━━━い!

名古屋で打ち合わせたことをプレゼンテーションの資料としてまとめなければならん!ほんとは本日を全部それに当てるつもりが、新しい仕事が舞い込んできて今日の午後はそれに費やしたのだった。やば━━━━(;゚Д゚)━━━い!

どないしょ・・・・。またしても深夜の作業に突入。明日は日本海に海水浴に行くと約束しているのでそれをツブすわけには行かない。
やるしかないなぁ。

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July27.2006
う~呑みすぎた。
今日は東京に行かねば・・・・・。
今日は某アパレルが手掛ける京都のビルの環境デザインのプレゼンだ。パースは昨日仙台にメールされており確認済み。あとは喋ればいいだけ。なのに、喋る気力もない・・・・。しんどい。
でも行かなきゃと、仙台駅へ。
あーそうね。七夕ね。東北三大祭のそれ。駅にも飾ってありました。昨日の飲み会でも言ってたけど七夕って基本的に見るだけでもひとつ動きにかけるんだそうだ。踊りがないのが原因とのことで地元ではスズメオドリなる物を開発したんだそうな。
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で、MAXやまびこに乗って一路江戸へ。
うれしがりなのでもちろん2階へ・・・・
なんじゃこりゃ!3人がけ×3人がけ。しかもリクライニングしない!それもそのはず3人がけの背もたれは一体型!肘掛もない!灰皿は遠い!
サイアク~。
なんそれ~、もう乗らんぞ。なんかのぞみのスピードに慣れてるから遅く感じるんですけど。いっぱいどうでも良さそうな駅に止まるし。

関東平野に入っても宇都宮あたりって随分田舎か?大宮ぐらいから住宅が多くなり首都圏ってカンジで。

まぁプレゼンも何とかなったし、明日は別件の打ち合わせ(まだ入ってくる!ヤバイ)と次の月曜日のプレゼン(オオマジの企画うまくやれば6000万くらいか?)の資料作成。土日に子供つれて日本海に行くから明日で全部やらねばならぬ。

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July26.2006
今日は仙台へ。昨日の夜は4時ぐらいまで今日の打ち合わせのためのスケッチを描いた。いつもなら伊丹を8:50のANAで飛ぶのだが、『やばいかな~』と思って1時間遅いのを予約しておいた。
正解。大正解・・・・。しんどくって起きられませんでした。
あ――よかった。
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飛行機はそんなに嫌いな乗り物ではなかったのに、ここしばらくのってなかったのでちょっとびびる。(おちるんとたやうか!と)
いままでべつに写真なんか撮らなかったけど、ブログ用ということで富士山が見えましたので撮ってみました。
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仙台での打ち合わせも何とか終わらせ夜の街に。
一番町の近所の横丁へ。へぇ~仙台にもこんなとこが・・・。
今夜は焼き鳥。うまい!ビールもサイコー♡で、ちょっとトイレに
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が―――ん!なんじゃこのトイレ!なんか懐かしいぞ!
女子トイレもいっしょ!男子の横板がないから女の人がトイレに入るときは丸見え!

July25.2006

今日は午前中にプレゼンテーション。昨日提出した資料について今日説明するわけだ。先方は総勢8名。
京都の一番いい立地。感触はまあまあなんだけど、プレゼンの順番的には一番なのでまだどうか分からない。
他のプランはどうだったのか訊くと、うちのようなプランは他にはなかったとのこと。みんなおとなしめのプランなのか?
それともオーセンティックなプランなんか?

お昼には終わったのでご飯食べてからこだまで名古屋へ。
今日のお昼は『ハマムラ』でランチ。どうしようもなく餃子が食べたくなって・・・。東寺の近所にミスター餃子というのがあって、うまいんかどうかは全然知らんが、その名前のインパクトで私の口の中は餃子になっていたのだ。
それにしても『ハマムラ』のラーメン、から揚げ、餃子、チャーハンはオーソドックス。特に頑張って失敗しない正統派の作り方。
ラーメンはちゃんと『中華そば』の味。餃子なんてオリジナリティーを発揮するとろくな事がないから冒険しない中華屋ってのは安心の昼食メニューかも。
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名古屋では来週月曜日プレゼンの銀行さんのサテライトのパースの発注。それからどういうプレゼンにしていくかの打ち合わせ。
前日までにどういうイメージなのかは、コンセプトとイメージをメールしておいたのでサクサク話は出来たけど。名古屋の営業はデザインに口を出す。?・・・・・・。
あんまり気持ちのいいものじゃない。自分の考えを出すのもいいけど聞く値打ちもないわけじゃないけど、時間が無いし僕のプランでいいと思うけど?どうだ?
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それで今日は淡々と(呑まずに)大阪へ帰ったのだが、それにはわけがあって今日は近所の神社のお祭りで子供たちはだんじりだのお神輿だのしたようだ。10時からオクサマがたの打ち上げとのことで帰宅命令が下っているのだ。
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何するのかは知らんけど、こっちもここんとこ遅くて迷惑かけてるし、オクサマも羽を伸ばしたいだろうということで、そそくさと帰宅したのだった。
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阪神福島駅を地上に出るとなかなか盛況で、太鼓や鐘の音がやかましかった。

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July24.2006
また明日もプレゼンです。いったいこのハードスケジュールを誰が想像したでしょう?だいたい、いくらかは余力を作って仕事は廻してるんですが今回はズルズルと引きずり込まれたものがあり、身動きが取れない状況に。

で、また深夜に及ぶプランの作成。今日は銀行の出先。ある意味『サロン』といってもいいかな?といったもの。それを午後から名古屋でパースやに発注。実はそれだけではない。あさっては仙台で同じくプランのディテールをスケッチで打合せして、個々のデザインをマテリアルとイメージを提示しながら打合せして、それを図面屋さんに発注して、しあさっては東京で環境デザインと企画をプレゼンするという全国行脚。

そんなワタクシの今の気分はこちら
are you experienced ? / the jimi hendrix experience
ジミヘンのアルバムで最初に買ったのがこれ。かなり聞き込んだ愛聴盤!
随分と後になってから“are you experienced ?”のイントロがPharcydeの“Passing me by”に使われてたのを発見。カンドー的な出会いでした。そして一時期ヒップホップ/アシッドジャズに傾倒していた私はまたしてもヘビーなこのアルバムに舞い戻ったのでした。

Are You Experienced

Main article: Are You Experienced (album)
The first Jimi Hendrix Experience album, Are You Experienced, was released in the UK on May 12, 1967. It contained no previous UK singles or any B sides ("Hey Joe/Stone Free," "Purple Haze/51st Anniversary" and "The Wind Cries Mary/Highway Chile"). Only The Beatles' Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band prevented Are You Experienced from reaching No. 1 on the UK charts.

At this time, the Experience extensively toured the United Kingdom and parts of Europe . This allowed Hendrix to develop his stage presence, which reached a high point on March 31, 1967 when he set his guitar on fire. Later, after he had caused damage to amplifiers and other stage equipment at his shows, Rank Theatre management warned him to "tone down" his stage act. On June 4, 1967, the Experience played their last show in England, at London's Saville Theatre, before heading off to America. The Sgt. Pepper's album and single had just been released days prior, and two Beatles (Paul McCartney and George Harrison) were in attendance at the show, along with a roll call of other UK rock stardom: Brian Epstein, Eric Clapton, Spencer Davis, Jack Bruce, and pop singer Lulu. In a courageous and brilliant display, Jimi chose to open the show with his own rendition of "Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band", crafted minutes before taking the stage.

Months later, Reprise Records released the US version of Are You Experienced, removing "Red House," "Remember" and "Can You See Me" to make room for the first three UK single A-sides. Where the UK album kicked off with "Foxy Lady," the American one started with "Purple Haze". The UK and US versions both offered a startling introduction to the Jimi Hendrix Experience, and the album was a blueprint for what had become possible on the electric guitar.

July24.2006

今日は京都で2件。
一件目は西大路。明日プレゼンテーションの物件の資料提出が今日なのだ。いわゆる『キモノ』を売る店。プレゼン前に資料を入れるのはあまりない。あったとしてもその後クライアントで検討して1週間後ぐらいでプレゼンと『質疑応答』をしたりする。その際提出した業者が全社呼ばれることはなく、数社に振るいにかけられる。全社のプレゼンを翌日には聴くってめずらし~。

続いて、六角通あたりで。進行中の新宿の物件の打ち合わせに。
ここんちは随分ハラハラの状況。今日は見積書を出して調整。予算はもっと出るものかと思いきやサッパリだめでした。
それでもなんとかがんばってもらわねば!

と、阪急河原町へと新京極を歩いていると、四条通がなにやら騒がしい。なんじゃろか?と覗いてみればなにやら祭り状態。
よくわからんもののとりあえず写メ。

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う~ん・・・。なんか地味。今から始まるのか、はたまた終わりつつあるのか?だいたいなんの祭りヨ?でもなんかスゴイことになるかも!とあたりをきょろきょろと。

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と、しばし待ちましたが何の進展もなかったので、地下に降りてましたら、裃つけたおっさんがショートカット中。なにしろ地上は動けない。ほっほ―やるな。おっさん。

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で、事務所に戻りましてちょいと調べましたら、こういうことでした。

この花傘巡行は、別名「後の祭(あとのまつり)」とも呼ばれています。もともと先の祭と分かれて行われていた山鉾巡行が統合されたため、代わりに花傘巡行が始まったのです。
花傘は、山鉾の古い形態を現代に再現したもので、傘鉾10基余、花車、舞妓さんの踊子屋台、獅子舞、雀踊り、祇園太鼓、六斎念仏などの行列があります。この行列には4つの花街の綺麗どころを始め六齋、鷺舞、鉾、祇園囃子の曳山や山車など総勢1,000人の行列が練り歩きます。
※巡行順路:祇園石段下(八坂神社)→四条河原町→御池通→寺町通→四条通→東大路右神幸通→八坂神社


そんな祭りだとは。祇園祭奥が深いゼ。




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ポリスのアルバムの中ではマストなアルバム。
ポリスの『多様性』のバランスがイチバンいいのではないでしょうか?

そんななかでイチバンスキなのは“on any other day”
ギターのカットが冴えまくる。アンディーやるなぁ。

Reggatta de Blanc is the second album by The Police, released in 1979 (see 1979 in music).

"Message in a Bottle", a Sting-penned song about alienation, opens the album. It is followed by "Regatta de Blanc", the album's instrumental, and one of the few songs written by all members of the Police; the instrumental piece came from the long instrumental break in the live performance of "Can't Stand Losing You" and earned the band the 1981 Grammy Award for Best Rock Instrumental Performance. "It's Alright For You" is a driving punk-ish song featuring strong guitar and drum parts. The next three tracks, "Bring on the Night", "Deathwish", and "Walking on the Moon" all have a strong reggae feel to them. "On Any Other Day" features a rare lead vocal from Stewart Copeland, and is a humorous take on a middle-aged man's mid-life crisis. "The Bed's Too Big Without You", an empty-feeling return to reggae follows. "Contact" and "Does Everyone Stare" are a pair of songs dealing with the connection, or lack thereof, between two individuals. The frenetic "No Time This Time" closes the album.

The album took only a few weeks (spaced over several months) to record, but unlike its successor Zenyatta Mondatta, there was no pressure on the band. As Stewart Copeland describes it, "We just went into the studio and said, 'Right, who's got the first song?' We hadn't even rehearsed them before we went in."

The album continued to build on the success of the band's previous record, Outlandos D'Amour, hitting #1 on the UK charts upon its release in October 1979. "Message in a Bottle" and "Walking on the Moon" were released as singles and both reached number one in Great Britain. In 2003, the album was ranked number 369 on Rolling Stone magazine's list of the 500 greatest albums of all time.



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よく知られているところでは“ジャクソン・シスターズ”をプロデュースした人。でも、あのヒットナンバー、ミラクルズはこの人の作品ではない(笑)

で、そんなブリストルの1978年のソロアルバム。
いわゆる『メロウ・グルーヴ』・・・クールな曲調と感情表現。ミディアムテンポでありながらグルーヴ。


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July23.2006
日曜日だというのになぜか会社に。
それは幼稚園の年長さんになる息子の夏休みの自由研究のベース作りのためだ。

なんかしらんけどカブトムシとクワガタの写真をカラーコピーして世界地図に貼るというものらしいが、世界地図が欲しいらしく(白地図)A1のサイズで出力しボードに貼ってやりました。

家でその大陸のアウトラインをペンでなぞって、ムシをぺたぺたと貼ってました(笑)

最近金魚を飼いはじめましたが、奥さんは金魚は嫌い!と世話をしてくれませんので私が。
水替えとかをやっておりますが、最初10匹いたのがいまや4匹。死ぬの早いなぁ・・・と絶句。

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こういう感じもいいでしょう。
勢いがついて。
キライじゃないんですよ。こういう感じ。

1976年にジェネレーションXを結成し、1978年にアルバムGENERATION X でデビュー。イギリスでかなりの成功を収めるが1981年に解散。

1982年、アルバムBILLY IDOLでソロデビュー。WHITE WEDDINGやDANCING WITH MYSELFのビデオがMTVで大受け。1983年に発表したアルバムREBEL YELL が数百万枚のセールスを上げスーパースターとなる。


疾走感とか躍動感とかそんな感じで。わかりやすいしね(笑)

Rebel Yell is the second album by British rocker Billy Idol, released in 1984 (see 1984 in music). "Eyes Without a Face" and "Flesh for Fantasy" had hit videos on MTV. The album reunited the hit-making team of Billy Idol, Steve Stevens and Keith Forsey, after their success with Idol's solo debut, Billy Idol (1982).

In 1999, EMI re-issued the album as part of their "Expanded" series. The new version of the album included previously unreleased bonus tracks and expanded liner notes.


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いいですか?
誰も知らんかもしれないですけどジャズディフェクターズ。
ウィキペディアにも項目無し(英語版にも)!バンザーイやっと好きなコトかけるわ!

こいつらサイコー!基本的にはアシッドジャッズの時期に登場したイギリスのバンドだっ!確かマンチェスター?と思ってたら、ライナーノーツにポール・ブラッドショーがそう書いてた!
グレート。

いいですか?シャーデーのライブサポートにも誘われた実力!踊れるジャズ(笑)がアシッドジャズの最初の煽りでしたが、こいつらは自分で踊ってみせるクラブ育ち。自分らで盛り上がってみせる!で、POPなんだよ、こいつらは。クラブの音じゃない。
ブラッドショー曰く、

『彼らの音楽は、みんなの足元を直撃し、そして月並みなポップ音楽に挑戦する』

ブラッドショーをしてこういわしめたこのアルバムは、楽しく、軽快で、リズミカルであり、バラエティーに富み、それでジャズだ。

実は、ライナーノーツにはこいつらについてポール・ウェラーが一筆寄せている。

“I think the jazz defektors are original. Very original style.
I think ,I'll see.....
You've got to see them live as will,too,You will really appreciate it.
They're still very raw as well,which I think is a really good thing....quite a lot of rough edges."


で、いまはどうなったのかなぁ。
検索にかからないということはもういないと・・・。

テーマ:おすすめ音楽♪ - ジャンル:音楽
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う――――。またまた遅くなりそうなペース。
なんか、ここんとこのペースが恐ろしいです。で、今かけているのはこれ。
Post / Björk

なんか、ここんとこビョークづいてるわぁ~。土曜日だし、もう殆ど人もいないので、アルコール&ニコチン♡そしてビョークと。

Björk returned to the studio during 1994 to work on her next solo album with Nellee Hooper, Tricky, Graham Massey of 808 State, and electronic music producer Howie B. The album, Post, contained songs based on Björk's relationships and songs about love (one of her favorite subjects), as well as some angry and confrontational material. Like "Debut," it was a collection partly made up of songs she had written in past years.

Audio samples of Björk
"Crying" (file info)
from Debut - Though Björk's early solo work are all firmly rooted in dance, her vocal phrasing was already distinct and unusual.
"Isobel" (file info)
from Post - This song, from Björk's sophomore album, sees her accentuating her pop sensibility. Post would allow her to experiment with genres ranging from trip-hop to 40s Pop.
"Hunter" (file info)
from Homogenic - A clip from Björk's third solo studio album, here she plants herself firmly within electronica.
"Unison" (file info)
from Vespertine - As Björk's sound evolved, she has shown a tendency towards minimalism.
Problems playing the files? See media help.
She wrote the song "Bedtime Story" for Madonna's 1994 album Bedtime Stories (parts of which Björk reused in her own song "Sweet Intuition", released as a b-side on the 'Army Of Me' single) and performed on MTV Unplugged during this time. By 1995, the new album Post was ready; it was released in June, reaching number two on the UK's album charts, and also went platinum in the United States. January of 1997 saw the release of Telegram, an album of uncharacteristic remixes of songs from Post.


http://en.wikipedia.org/wiki/Bj%C3%B6rk

このアルバムでイチバン『スキ』なのは④“It's Oh So Quiet"
前にも書いたけどビョークって何でも歌える!楽しく。そんなビョークの音楽性の豊かさにはじめてであったのはこの曲。
ええやん!こんなカンジって具合で(笑)

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特にジャムは好きなバンドではなかった。ザッツ・エンターテイメントの出だしを聞くと『俺は田舎のプレスリー』by吉幾三を思い出すくらいのもんだ(笑)でも、スタカンは別。これはほんとにオシャレだった。
田舎の中学生だった頃、ちょいちょい自転車こいでたわけだがそのときのテーマは『マイ・エバー・チェンジング・ムーズ』(W)

ミック・タルボットあったればこそのスタイルカウンシル。そう信じております。そして今迄聴いた音楽の中で、イチバンかっこいいと信じている“a man of great promise"サイコー!

で、そんなスタカンを簡単に説明するとこうなる

スタイル・カウンシル(The Style Council)(略称TSC)とは、イギリスのポップス/ソウルユニット。1983年結成、1990年解消。メンバーは流動的であったが、基本的にはリーダーであるポール・ウェラー(Paul Weller/メインボーカル、ギター)、ミック・タルボット(Mick Talbot/オルガン、シンセサイザー)を基本メンバーとし、加えてD.C.リー(D.C.Lee/コーラス、サイドボーカル)、スティーブ・ホワイト(Steve White、ドラム)の4人で構成されることが多かった。 "Style Council"(スタイル評議会)という名が示すように、単なるブルー・アイド・ソウルにとどまらず、ファンク/ボサノヴァ/ジャズ、果てはハウスまで、ありとあらゆる音楽を取り入れるという実験的な試みを見せ、4枚(未発表のものを含めれば5枚)のオリジナルアルバムを発表した。
そうでしょう。そうでしょう。それ以上書きようもないか。

Our Favourite Shop is the third album from the band The Style Council. It was released in the USA as Internationalists by Geffen Records.

Lyrical targets include racism, excessive consumerism, the effects of self-serving governments, and what the band saw as an exasperating lack of opposition to the status quo. All of this pessimism is countered with an overarching sense of hope and delight that alternatives do actually exist -- if only they can be seen.

The contained musical styles are also far-ranging. Soul, rap, jazz and rock stylings all occur on the album.

非常に高い実験性を持ったユニットであり、ウェラーのロック/パンク的素養に加えて、ジャズ/ボサノヴァ/ファンク/フレンチポップス/アシッドジャズ/ハウス/ネオアコ/ソウル/R&B等々、ありとあらゆる音楽を取り入れ消化していった(3rdアルバムには、カーティス・メイフィールドも参加している)。そのため音楽的なアイデンティティーを保つことが難しく、後期は若干勢いが落ちたものの、その精神は後進のアーティストにも影響を与えた。特に日本では、フリッパーズ・ギター、佐野元春などが強い影響を受けた。 全体に洗練された80年代的「お洒落な」雰囲気が漂い、当時の日本では大学生のアイテムとしてもてはやされ、カフェバーでも盛んにBGMとして使われたが、歌詞やタイトルは「ホワイトハウスへ爆撃」「インターナショナリスト」など、強い政治的メッセージを帯びたものも多い。これはウェラーの反骨精神のあらわれであり、また一時期、ウェラーが左派政治思想に傾倒したためであるとされる。 ジャム時代やウェラーのソロ時代の音楽性と、スタイル・カウンシルのそれとが大きく異なっているため、、ポール・ウェラー全体のキャリアからすると異端とみなされることもあるが、近年は日本などでも再評価の動きがあり、駄作との烙印を受けた3rd,4thアルバムもある程度評価されている。

やはり影響度は高く、洋楽聴かない純粋な邦楽ファンの方には申し訳ないが、こんなんスタカンのパクリやん的なモノも多々あり。当時は哂っていたのだよ。いやらしい人間だ。ボクは。





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なにを次に聴いたろうかなとデスクのCDをごそごそしてて、ここに行き着きました。候補はふたつ。ニルバーナかスマパン(笑)そんなトコで悩むか?と自分でも大笑い。
『オルタナ』と一口に言ってもこいつらは明らかに違うよね。で、今は仕事中だし若干キモチも上げていかないといけないのでこちらに。

siamese dream / smashing pumpikins

どこで選んだかといえばこの曲がききたかったから“today”。あと、ニルバーナだと落ち込みそうだったから。よくわかんないですけど。

The Smashing Pumpkins is a popular American alternative rock band which formed in Chicago, Illinois in 1988.

Less influenced by punk rock than many of their contemporaries, the Pumpkins have a densely layered and guitar-heavy sound, containing elements of gothic rock, heavy metal, dream pop, psychedelic rock, progressive rock, shoegazer-style production and, in later recordings, electronica. The emotional tone of frontman Billy Corgan’s songwriting ranges from the angry (“Bullet with Butterfly Wings”), to dour (“Disarm”), to the jubilant (“Cherub Rock”).

Selling more than 40 million albums world-wide, the Smashing Pumpkins were one of the most commercially successful and critically acclaimed bands of the 1990s, but internal fighting, diminishing sales, and cultural vitality hampered the band in their later years, leading to a 2000 break-up. In April of 2006, the band officially announced they were reuniting and recording a new album.


http://en.wikipedia.org/wiki/The_Smashing_Pumpkins

とぴうことです。あんまりプロフィールに興味ないけど私生活もかなりのものなんですね。こいつら。

コーガンはスマパンがデビュー時期からニルヴァーナと比較され続けた事から(デビューアルバムのプロデューサーは、共にブッチ・ヴィグである。)、並べて語られる事を嫌う。しかし、オルタナファンは両バンド共に1990年代のアメリカを代表する歴史的ロックバンドであるため、その両方を愛聴している事も多い。

また、ニルヴァーナのボーカルのカート・コバーンの妻のコートニー・ラブは、コバーンと付き合う以前にコーガンと付き合っていた事もある。スマパンとニルヴァーナと言う1990年代のUSロックの両巨頭は、実は様々な所で繋がっている。


へ~知らんかった。ど―でっもい―でっすよ・・・。
そういや、コートニー・ラヴが歌った『ハングリー・ライク・ザ・ウルフ』よかったな。


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う~ん。うっかり裏面を焼いてしまった。
まあえっか。
マイルスを訊くようになったのは、アシッドジャズを聴きだしてから、だからハタチぐらいのころから。
最初はトランペットってワタクシにとってはどうでもいい楽器で、あまり興味はなかったんですね。で、バックの音まではあんまり考えてなかったわけです。それが大きな誤りだったと・・・。浅はかでした。
で、只今聞いているのはこちら。

live evil / miles davis
このアルバムに入ってる"What I Say"は21分に及ぶ長作。そしてヤバい。スタートから全開。どんどん引き込まれていく。サイコー!
最初に聴いたとき坂本龍一がソロで出した80年代の“B2UNIT”のなかに、このドラムパターンに似てるのがあったなぁと思ったでス。レコードで聴いて今手元にないので曲名もなんにもわからないのですが・・・。

この人については、以下のコメントが楽しいかも。


マイルスはアメリカにおける人種差別問題には常に批判的であった。しかし、音楽性の追求のためには人種は関係ないというスタンスを貫き通した。第一期クインテット時代に、一時的にビル・エバンスをバンド・メンバーに迎え入れた時に、当時の主なマイルス音楽のリスナーだった黒人層からは多くの批判が浴びせられたと伝えられているが、当時のマイルスは「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇うぜ!」と豪語したと伝えられている。(ただ、ビル・エバンスは音楽的には大きな貢献をしたものの、一年程度の在籍ののち白人バッシングに耐えきれずにバンドを去ることになったと言われている。)同様に、唯一のアジア系人種として、ピアニストのケイ赤城が1989年から2年間、日本人としては最初にしてただ一人レギュラーメンバーとして活躍した。その他に世界的なジャズギタリストである渡辺香津美や、日本屈指のベテランのドラマー村上ポンタ秀一も、マイルス側からオファーを受けていたという事実がある

やっぱり、マイルスサイコーだ。ビッチェズ・ブリューあたりの音がワタクシ的には大当たり。頂点は『オン・ザ・コーナー』!


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July21.2006
結局今朝方3時過ぎまで会社で京都の物件の『カフェ』のプランをして、部分部分に出てくるディスプレイのスケッチ起こして、岐阜の銀行の『サロン』のコンセプトの草案起こして、それを中部事業本部の担当者にメールして、某ショッピングセンターに入店したいクライアントのプロポーザル資料のコンセプトなどをまとめプリントアウトしたりしていた。

家に帰り、しばらく寝て5:30に起床し、顔を洗って髭をそって6:40の『のぞみ』で品川へ行って山手線に乗り換えて恵比寿の西口へ。待ち合わせ時間は9:30。クライアントさんから携帯に電話が入りちょっと遅れます。とのこと。やった、勝った!(なにがだかわかんなくなってます)ああ眠む・・・ (´H`)y~~

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今日は新宿の物件の打合せ。何故東京かというとグラフィックやってる事務所が東京だから。このクライアントさんの中ではワタクシよりも格付けが上。だから何かと『カンに障る』ことが多い。ワタクシのいうことが信じられなくって意見を求めるのはいいけど、紙やWEB上での話と空間での見え方は違うんだよ・・・。向こうの人もグラフィックが専門なんだからそっちに訊くなよ~。困ってんじゃんかよ~ってのばっかし。

クライアントさんたちは大抵素人だ。よほど出店数が多いトコは建装部だの設計課とかがあって、わかってらっしゃるのだけど、普通は素人なので教えたりしながら設計は進む。クライアントはそれでも『こういう風にして売りたい』とか『どこそこのこんな店にしたい』とか『こういう商品を売りたいのでこうして!』とか要望を持っている。それが健全な商売人だと思うし、ずっとそんな人たちと仕事をしてきた。

今回のクライアントさんは一言で言うと『ぼんぼん』と『夢見がちなアマチュア』のペア。はっきり言って理解力が乏しいのです。客観的な目が自分たちにないのです。で、過去に1号店を半年で潰してるのに、その反省は自分たちの商品に向かないのです。さらに、誰が設計したかしらんけど、店が悪かったとか言う始末。バカだ。ホンマモンの馬鹿だ。具体性のある商売上のポリシーはなく、商品も見るべきものはない。そしてどうやって売るのか誰に売るのかの目算が甘い。最初から言ってきたことが今になっても決まってないのになぁ・・・。つらいです。やばいです。だめだ、こいつら・・・・ってがっくりしてます。

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もうだめだ。今日はやる気が出ねえ・・・。とばかり、早々に新幹線に乗って引き上げました。つらいシゴトになったなあ。今日は事務所に帰らず直帰して鋭気を養おう―――っと。とビールを片手に新幹線に。

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おうちに着いたのは17:00ぐらい。なんか近所で『夜市』をやってるとかでひやかしに。ビール飲んで金魚すくいして、幾分リラックス。

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今日の作業もフィナーレを迎えつつあります。
今ちょうど、プレゼンの資料をプリンターに送ったところ。
『まったり』とした深夜の作業時間、3回繰り返してプレイしたのがこのアルバム。

Björk Guðmundsdóttir & Tríó Guðmundar Ingólfssonar

ジャズプレイながら元気が出る楽しそうなボーカル。まぁこのあたりの表情がビョークの持ち味ですわな。焦らず、気負わず、プレイを愉しむぐらいでないと、こんな時間に作業できませんて。
今日は、だるくなって飲みに言った昨日と違って何とかやる気になったのも、このアルバムのおかげ。

Gling-Gló, released in 1990, is the only album by Björk Guðmundsdóttir & Tríó Guðmundar Ingólfssonar, consisting of Guðmundur Ingólfsson on piano, Guðmundur Steingrímsson on drums, and Þórður Högnason on bass. Gling-Gló is an Icelandic onomatopoeia whose English equivalent is "Ding Dong," or the sound that a bell makes.

This album was recorded on September 1st and 3rd of 1990 at Stúdio Sýrland. It was produced by Tómas Magnús Tómasson, the bassist of Stuðmenn, who also did the mix for this album.


Gling-Gló contains Icelandic themes, and most of the songs are sung in Icelandic. There are also three versions of English language songs by other artists: Björk sings in English “Ruby Baby,” by Jerry Leiber and Mike Stoller, and the jazz standard “I Can’t Help Loving That Man”, by Oscar Hammerstein II and Jerome Kern; and in Icelandic “Það Sést Ekki Sætari Mey”, which means in English “There Is No Sweeter Girl”, and is misattributed in the album notes and on the CD as having been written by "Rogers/Hammerstein", but is in reality a completely reworded cover of "You Can't Get A Man With A Gun" by Irving Berlin from the famous musical Annie Get Your Gun. There is also the Icelandic version of Sway, Í Dansi með Þér.



http://en.wikipedia.org/wiki/Gling-Glo


さて、明日っつ―――か、もう今日なんですけど9:30に恵比寿(東京)勘弁してよ~。6:30の新幹線でギリギリぐらいかぁ・・・orz

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さて残業にもノリが必要で只今の気分はこれ。
debut / bjork
新しいアルバムが出るたんびに、それがサイコーにかっこいいという稀有な人。こんなカンジっていう評判を毎回見事に裏切る天才。

ヒッピームーブメントに影響を受けた両親(ちなみに両親は彼女が1歳の時に離婚している。母の再婚相手はギタリスト)のもと、幼少の頃からアカデミックな音楽教育を施され音楽活動を始める。1977年に12歳でアルバム「Björk」でデビュー。アイスランド国内で爆発的な人気を得る。

1980年代にバンド"The Sugarcubes"(ザ・シュガーキューブス)を結成。英語で発表した曲はアイスランドのみならず英語圏でも注目を集めた。

The Sugarcubes解散後、1993年にソロアルバムをリリース。ハウスミュージックを取り入れた先鋭的かつポップなサウンド、天真爛漫で自由奔放なボーカルが注目を集め、世界的にヒットした。

彼女の黒髪と神秘的な顔立ちは、アイスランド人にしばしば顕れる形質で、何故アイスランド人に東洋的とも思われる子どもが生まれるのか人類学的には謎の一つとされている現象である。ちなみに彼女は若いころ、日本人に似ていると周囲に指摘された経験から、三島由紀夫などの日本文学を読んでいたという。

また彼女は、幼少時に観た日本映画「鬼婆」に形容しようのない印象を受け、日本に強い興味を抱いていたという。日本の写真家・荒木経惟とコラボレーションを行ったことがある。


ふ~ん。《アイスランド人にしばしば顕れる形質で、何故アイスランド人に東洋的とも思われる子どもが生まれるのか人類学的には謎の一つとされている現象》ねぇ。そういうのって『××現象』って名前がついてるんでしょうか?ホント日本人的な顔立ちで最初はにほんじんだとおもってた。

Tensions steadily mounted between Björk and Einar Örn, however, and by 1992 the Sugarcubes dissolved. Björk moved to London and began thinking about a solo career; to this end, she began working with producer Nellee Hooper, who had produced for Massive Attack, among others. Their partnership produced Björk's first international solo hit, "Human Behaviour". Her solo debut album, simply titled Debut, was released in June of 1993 to positive reviews; it was named album of the year by NME, and eventually went platinum in the United States. Debut was a mix of songs Björk had written since she was a teenager as well as newer lyrical collaborations with Hooper.

The success of Debut enabled her to collaborate with other artists on one-off tracks. She worked with David Arnold on "Play Dead", the theme to the 1993 film The Young Americans (which appeared as a bonus track on a re-release of Debut), collaborated on two songs for Tricky's Nearly God project, appeared on a track on the 1997 album Not For Threes by Plaid, which was released on the cult Warp Records label, and wrote the song "Bedtime Story" for Madonna's 1994 album Bedtime Stories

http://en.wikipedia.org/wiki/Bj%C3%B6rk

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July20.2006
今かけているのはブリーダーズ。
キャノンボールを最初に聴いたときの衝撃が忘れられない。
名作。
ドライブ感、グルーヴ、文句なし。マストアイテム。

ブリーダーズは、1988年に結成されたキム・ディール(ピクシーズ)とタニヤ・ドネリー(スローイングミュージズ)のサイドプロジェクトとして結成されたアメリカのロックバンドである。

ピクシーズ・スローイングミュージズの両バンドの活躍が乏しくなるにつれてブリーダーズ名義での活動が両アーティストにとって重要なものとなってきた。彼らの最初のアルバム「ポッド」はスティーヴ・アルビニをエンジニアに迎え1990年に4ADから発売された。後にジョセフ・ウィッグスとブリット・ウォルフォードが加入する。1993年にキムはピクシーズを脱退した。同年に双子の姉のギタリストのケリー・ディールが加入した。アルバムの「ラストスプラッシュ」発表時にドネリーはバンド「ベリー」の活動をやめドラムにはジム・マクファーソンが加入した。このアルバムに収録されていた「キャノンボール」がヒットし、ビルボードチャート2位を記録した。

1995年にケリーが麻薬中毒になり、マクファーソンとキムとルイス・レルマとネイト・ファーレイがサイドプロジェクトの「アンプス」を結成し、アルバム「ペーサー」をリリースした。ケリーはドラッグからの更正後にケリー6000というバンドを結成する。この年を境目にブリーダーズの活動は低下してしまった。後の2002年にアルバム「タイトルTK」を発表した。


Last Splash is the second album by indie rock band The Breeders, released August 31, 1993 (see 1993 in music). Originally formed as a side project for the Pixies' bassist Kim Deal, The Breeders quickly became her primary recording outlet.

Last Splash peaked at #34 on Billboard's Billboard 200 album chart.

The song "Cannonball" has been used in countless movie previews, including South Park: Bigger, Longer, and Uncut and Dude, Where's My Car? The title of the album is taken from a lyric from the song "Cannonball".

http://en.wikipedia.org/wiki/Last_Splash

やはりサイコーなのはキャノンボールか?
cannon ball - the breeders

divine hammer - the breeders

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July19.2006

さて今日はコンペの日。昨日夜中3時過ぎまでやった物件のだ。今回は時間がないので『本当にスケッチだけでいいです・・・。ただ、全体像がわからないと・・・・。』というクライアントのリクエストでコンペになってしまったし(従来からお付き合いされてる業者と)、全体像がわからなければならないことから、まず平面を固めてという作業からスタート。

結局は昨日の午後と夜の残業で平面プランとアクソメを上げて説明をしたわけだ。で、事務所に戻ったら電話があって『よろしくお願いします』ということになりました。
やった―――!
やれやれ、よかった。
この物件は仙台の営業所長から『御指名』での仕事だったので、安堵と歓喜の入り混じった複雑な気持ち。まぁ期待され指名されたことが嬉しかったし、期待にこたえられたことが尚のこと嬉しい。

初めて仕事をモノにした新人の頃の『キモチ』に近いか?
明日は名古屋でコンペのオリエンテーション。なんと!銀行?!
来週は呉服屋さんとのコンペのプレゼンと京都のファッションビルの環境計画のプレゼンだ~。
忙しいと『燃える』やつだったよなぁ・・・オレは!

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やれやれ、やっとカタがつきそうなので仕事はおしまい。
そして今流れているのは
the idiot / iggy pop
ストゥージスの頃も『よい』のだけれど、深夜の放心状態に近いときはこちらがよろしいのではないでしょうか?
いまも、ズブズブにハマってます。
あ~も~やるきでね~。っつ―――――カンジ。

Pop was unhappy with RCA, however. He later admitted that he'd made TV Eye as a quick way of fulfilling his RCA contract and moving on elsewhere. This was Arista Records for which he released New Values in 1979. This album was something of a Stooges reunion, with James Williamson producing and latter-day Stooge Scott Thurston playing guitar and keyboards. Not surpisingly, the album's style veered back to the guitar sound of the Stooges. Although highly regarded by many Iggy fans -- some preferring it to the Bowie albums -- New Values was not a success, despite some strong material including "I'm Bored" and "Five Foot One".

The album was moderately successful in Australia, however, and this led to Pop's first visit there to promote it. While in Melbourne, Iggy made a memorable appearance on the ABC's nationwide pop show Countdown. During his anarchic performance of "I'm Bored", Iggy made no attempt to conceal the fact that he was miming, and he even tried to grab the teenage girls in the audience. An obviously 'wired' Iggy was also interviewed by host Ian Meldrum, an exchange which was frequently punctuated by Iggy jumping up and down on his chair and making loud exclamations of "G'day mate" in a mock Australian accent. Iggy's Countdown appearance is widely considered one of the highlights of the show's history and it cemented his popularity with Australian punk fans; since then he has often toured there.

While in Australia Pop was also the guest on a live late-night commercial TV interview show on the Ten Network. Iggy's wit and intelligence and his articulate manner confounded the panel of journalists, whose main purpose was asking about his drug use. It is not known whether a recording of this interview exists but the famous Countdown appearance has often been re-screened in Australia.

During the recording of Soldier (1980), Pop and Williamson quarrelled over production - the latter, apparently wanted a big, Phil Spector-type sound - and Williamson was fired. David Bowie appeared on the song Play It Safe on backing vocals with Simple Minds. The album and its follow-up Party (1981) were both commercial failures, and Pop was dropped from Arista. His drug habit varied in intensity, but remained.


http://en.wikipedia.org/wiki/Iggy_Pop

ロウパワーのシェイクアピールなんて勢いつけてしごとするのにぴったりですけど、深夜にも元気もでね――なんて時には、NIGHTCLUBBINGなんてききつつ、いまごろ飲んでたらこんなカンジ~。って遠い目をしてみるのもよいでしょう。この曲はトレインスポッティングでも挿入されていたので割りと知られるようになりましたが・・・・。


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さて、ついに日付がかわりそうであります。
まったくやんなるぜ!スタッフはほぼ帰ってしまい、あしたプレゼンのV○V○Eチームが徹夜か?という状況。
CDもチェンジして只今かかっているのはこれ。
mama said / lenny kravitz
レニクラについては前にちょろっと書いたけど、わたしの中でベストはこちら。楽曲の豊かさ、バラエティーに富んだ展開、音のエフェクトの好み、テンポ、雰囲気、どれをとってもイチバンのお気に入りだ。

LENNY KRAVITZ: CRAZY SEXY COOL

Lenny says that his life today is about serenity. “Things have calmed down around me. I used to have a lot of people around, but not so much anymore. The few people that I have around me now add and multiply, and I’m extremely happy with where I am as a person and artist.” In conversations like these, Lenny often refers to his late mother, who died in 1995. “My mother was really into being real. She did not try to elevate herself in a pretentious way because she was on the top TV show, but that was her craft and she was who she was. When she started to make money and we moved to LA, we didn’t have a maid. My mom would be cleaning the house, and so would I, with her. She would say that the naked ‘me’ out of bed was who she was. That ‘me’ wasn’t Roxie Roker, the famous actress.”

Still, certain rock star episodes demonstrate that he is quite used to getting it his way, most of the time. Andelman told me about a documentary they shot a couple of years ago in Brazil. There were a million people assembled for Lenny on Copacabana beach, in the first of a series of free rock concerts organized by the city of Rio de Janeiro. (The Rolling Stones performed there in front of 1.5 million people last February.) The entire video production crew flew to Rio with a ton of equipment, and the idea was to capture a Lenny performance in an idyllic, tropical setting. Everything went well, and they filmed away for a couple of days.


http://www.trace212.com/TRACE/issues/TRACE_64/issue.html


テーマ:本日のCD・レコード - ジャンル:音楽
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July18.2006
今日は多分『徹夜』に近い状況に。
まぁ、覚悟はしてたけどね。これが今週、延々と続くわけです。
自業自得というか、仕事を断らないせいというか・・・・・orz。
そんな、只今聞いているのはこのアルバム・・・
club classics vol.one / soulII soul
流石にこの時間になると電話もならないし、スタッフも殆どが帰ったから、禁煙のデスクでたばこ吸いながら、差し入れのビール飲みつつプランして、只今アクソメの作成に。

このアルバムが出た頃はブラックといえばファンクかソウルか、新しいトコではUSモノのラップとかヒップホップというカテゴリーができたぐらいでしたか?
ハウス的な手法とブレイクビーツと、強烈なベースライン。
初めて『グランドビート』を書いたあおりではファンクより強烈なベースラインか?と、かなり激しいうねりとファンクネスを期待してしまいました。
実は、さにあらず。地を這うベースラインは起伏は少なくクラブで聴くと腹を蠢くムカデのごとくムズムズと這いずり回るのでした。耳の裏側が痒くなる感じ(w)
ある種、ジャズの一派と捉えてもいいクールネス。
深夜作業の友。

Soul II Soul is a dancefunk/soul act that emerged at the end of the 80s from London. The group initially attracted attention as a "sound system," playing records at house and street parties (where their clothing style - dubbed "Funki Dred" - quickly made a splash, inspiring them to start a line of clothing). Founded by Jazzie B and featuring a changing roster of other musicians - notably Nellee Hooper and Caron Wheeler - Soul II Soul's experiments in music-making of their own resulted in the dub plate "Fairplay," which secured them a deal with Virgin Records. They had huge hits in 1989 with the singles "Keep on Movin'" and "Back to Life (However Do You Want Me)," both from their debut album Club Classics Vol. I. These songs (both featuring Wheeler on vocals) set the tone for early 90s mainstream dance music in the UK.

Their follow-up album, Vol. II: 1990 - A New Decade, yielded the hits "Get A Life" and "A Dream's A Dream," the latter featuring operatic vocals by Victoria Wilson-James. While their US following declined somewhat following its release, Soul II Soul continued to have hits in the UK, including 1992's top 10 single, "Joy."


back to life / soul II soul


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July17.2006
今日は東条湖に向けてドライブして、その後プールに入る予定だったが大雨でなぜか『温泉』に変わってしまった。じめじめとしていたのでサッパリとしてよかったし、岩盤浴も一度セナアカンと思っていたのでちょうどよかったか?

わが家にはクルマはなく、必要時にはレンタカーで済ませていたのだが、奥さんはどうしても欲しいらしく、ちょうど今、マンションの駐車場に空きが出たので盛り上がってしまっているのだ。

ワタクシは次に乗るんなら絶対『プジョー』と言い張ってる時期があって、そんな風に奥様を洗脳したので、今奥さんはプジョープジョーとうるさい。幸いご近所のご家庭でプジョーに乗ってる方もいらっしゃらないのでのるなら、やっぱりプジョーでしょうか?307もフロントが随分と精悍な顔つきに変わったのでやっぱりこれでしょう?

ただ、こんな毎日毎日働いてるのに、乗る時間があるのか?という問題とローン大丈夫なんか?という件に関してはすっきりとした回答はないのだ。やっぱし無理かなあ?



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July16.2006
ここんとこ仕事が忙しくって土日を休めなくって、ちょっと家の人たちがうるさい。夏休みに何をするにしても決められない状況を作ってしまっているわたしが悪いのですが。

で、今日(日曜日)に行楽ができたかというとそうでもなくて、今日は子供が通っている××式の発表会?みたいなのがあって基本的に全員参加みたくわたしものこのこと出かけたのであった。

前にも書いたけど、ワタクシは今相当のロン毛状態で、妻からは公式行事などの出る場合は括るよう申し付けられているのだ。ポニーテールにしてもきっちり肩よりも下まで行くのだが、仕方ないからそれでいいらしい。『髪をフン縛ると毛根が痛い』と言い訳すると『じゃあ、切れば?』といわれるのでそんな泣き言はいえないのだ。

で、そんなデイタイムを過ごし明日は車で東条湖ランドのほうまで行くのでCDを選んだわけです。ドライブ用のをピックアップしながら、久しぶりに発見したのがこれ。

Promise/Sade

ボクが高校生だった1985年。こういった感じのも随分チャートに入ってきており、(例えば、BASIAとかがロンドン・ワルシャワ・ニューヨーク)とかを出しており、なんかガチャガチャした音の合間にこういったのを聞いていたような。
女の先輩から『聴いとけ!』と聴かされたようなきもするし、自分で進んで買ったのか、そのあたりは定かではないが・・・・。
でも、いまでもジャズっぽいの聴くしジャズも好きだし、こういう感覚の音は、いつの時代になっても いわゆる『オシャレ』な音といってもいいんではないでしょうか?

Promise is the second album by the Nigerian-English songwriter, Sade. It was released in 1985 (see 1985 in music).

The major hits from this album was The Sweetest Taboo (US #5) and Never As Good As The First Time (US #20). Also Is It a Crime was released as a single. Whilst not as initially successful as her debut album Diamond Life, Promise became Sade's first album to top the charts in the UK, undoubtedly helped by an appearance at Live Aid and a cameo in the film Absolute Beginners.

The title Promise comes from a letter from Sade's father where he refers to the "promise of hope" to recover from cancer.
http://en.wikipedia.org/wiki/Promise_%28album%29


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July15.2006
さて、今日も会社で休日出勤。死ぬほど仕事が詰まった。あっという間にあれよあれよという間に。
来週は危機的な状況だ。残業の嵐になるのは必至だ!

テポドンが飛んで以来、ニュース見る目にも真剣さが加わったかもしれない。ひょっとして死ぬかも?とか思うようになりました。今までのお笑い朝鮮半島とは行かなくなってしんどい状況ですな。
ホント平和だったら朝鮮半島のことで笑ってもいられるけど戦争になったらそうはイカンよね。

安保理決議と声明

国連安全保障理事会(15カ国)は、国際平和と安全への脅威や脅威になり得る問題に対し(1)決議(2)議長声明(3)報道陣向け声明-などの措置を取ることができる。決議採択には9カ国以上が賛成し、5常任理事国のすべてが反対しないことが必要。決議には法的拘束力があり、国連加盟国は決定に従わなければならない。議長声明や報道陣向け声明には拘束力はなく、全会一致で採択、承認される。報道陣向け声明は本国に賛否の指示を仰ぐ必要がなく、迅速に対応する必要がある場合に採用される。(共同)


http://www.toonippo.co.jp/news_hyakka/hyakka2006/0706_6.html

と、そういうことだそうだ。
中国とロシアなんて信用できねえや。

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Janis Joplin's Greatest Hits
summertimeぐっときます。
泣けます。夏が来て聴く曲ベスト10なんかには絶対入らないやるせなさ。太陽の光の下ではとても聞けないせつなさ。
夜中に酔っ払ってる時、ヘッドフォンかけて大音量で聴くのがサイコー。

Joplin was born at St. Mary Hospital in Port Arthur, Texas. The daughter of Seth Joplin, a worker at Texaco, she had two younger siblings, Michael and Laura. She grew up listening to blues musicians such as Bessie Smith, Odetta, and Big Mama Thornton and singing in the local choir. While at Thomas Jefferson High School, she was mostly shunned. Primarily a painter, it was in high school that she first began singing blues and folk music with friends. Joplin graduated in 1960 and went to college at the University of Texas in Austin, though she never attained a degree. While attending the University of Texas at Austin she was often referred to as the "ugliest man on campus."

Cultivating a rebellious manner that could be viewed as "liberated" — the women's liberation movement was still in its infancy at this time — Joplin styled herself in part after her female blues heroines, and in part after the beat poets. She left Texas for San Francisco in 1963, lived in North Beach and in Haight-Ashbury as well as Corte Madera. Around this time her drug use began to increase, and she acquired a reputation as a "speed freak" and occasional heroin user. She also used other intoxicants. She was a heavy drinker throughout her career, and her trademark beverage was Southern Comfort.


Janis Joplin on stage.Like many other female singers of the era, Janis' feisty public image was at odds with her real personality. The book Love, Janis, written by her sister, has done much to further the reassessment of her life and work and reveals the private Janis to have been a highly intelligent, articulate, shy and sensitive woman who was devoted to her family.


パワフルなボーカル。悲痛さ、悲壮感では抜群にこの人。
そんな想いがどこに秘められているのか想像もつかないし、ドラッグに沈む人のココロの深淵は覗けないっす。

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わたしのロック回帰は大学時代のこの人。
当時私は神戸の“COURSEWAY BAY”という店でバイトしており、カウンターの中に入ったりフロアをやったりしていた。(もう、お店はないよ)そこで、いろいろCDをかけてたり。ベルベットアンダーグラウンド聴くようになったのもここがあったから。

その頃、一緒に入ってた人がロックな人で、これをかけていた。店は地下で、お客が少ないときとかは大きい音で聞けたりして。
しびれました。

His 1989 debut album Let Love Rule was a moderate success, reaching #61 on the US Billboard album charts. The title track would reach #89 on the Billboard Hot 100 and #5 on the modern rock charts. The second single, "I Build This Garden For Us" reached #25 on the modern rock charts.

Kravitz gained greater recognition when Madonna reached number one with a cover version of his song, "Justify My Love" on her 1990 Immaculate Collection album. Kravitz's marriage to Lisa Bonet ended in the same year. He also briefly dated Madonna at this time.


http://en.wikipedia.org/wiki/Lenny_Kravitz

ユダヤとブラックのハーフというのが存在するのがまったく信じられず、うそだとばっかり思ってたけど。


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