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先代幸四郎(7代目?)が或る人に、
『あなたはいつ童貞を失いましたか?』
と、訊かれたところ、
『いやァ、どうも、わたしなんぞは、人様に比べて、まことに晩稲で、どうもお恥ずかしくて』
となかなか答えません。
『遅くてもいいから、いつごろですか?』
ときいても、
『いやァ、あんまりおそいから』
と答えをしぶり、とうとう問い詰められて、頭をかきながら、恥ずかしそうに、
『いや、実は十三のときです』
と答えたそうです。まことに天晴れなものですが、実際その頃の歌舞伎役者は、年上の女性に可愛がられて、もっと早く童貞を失うことが多かったらしい。いまどきのハイティーンがいくら威張っても、これには敵いません。

川端康成の小説に、童貞を重荷に感じる少年が、月に向かって『僕の童貞をあげよう』と叫ぶ美しい場面があるが、こんな厄介なそして持ち重りのする荷物は、一刻も早く捨てるに越したことはないのです。

ときどき、ティーンエイジャー雑誌の身の上相談欄に、『童貞を奪われて』などと題して、相手の女を魔女呼ばわりしてるようなのがあるが、とんでもない間違った話で、そういう女は実は菩薩なのです。

(中略)

そもそも男の人生にとって大きな悲劇は、女性というものを誤解することである。童貞を早く捨てれば捨てるほど、女性というものに対する誤解から、それだけ早く目覚めることが出来る。男にとってはこれが人生観の確立の第一歩であって、これをなおざりにして作られた人生観は、後年まで大きなゆがみを残すのであります。

(後略)

『不道徳教育講座』三島由紀夫 昭和42年11月初版


小説や戯曲では格調高い文句を繫げる名手なんだが、エッセイになると自由闊達というか豪放磊落な感じで思想家の文章になるんだろうか?それにしても時代が随分と経過したようで、童貞を捨てる年齢もこのエッセイでは驚嘆されてるけど今では違うんじゃない?

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女子二百メートル平泳ぎで地元ドイツの強豪ケンネルと大接戦を繰り広げた。ラジオ実況放送の河西三省アナウンサーは『前畑がんばれ!前畑がんばれ!』と叫び続け、国民はみなその実況に熱狂した。
Games of the XI Olympiad

・・・・・・・

小学5年生の夏、学童新記録。
しかし父親が病弱な為、卒業後家業の豆腐屋を手伝わなくてはならなかった。
しかし、秀子の才能を惜しんだ校長の熱心な勧めで小学校の高等科(今の中学校)へ。そこで、次々と日本新記録を打ち立てた。
卒業を間近に控え、こんどこそ水泳を辞めなければならないと諦めかけていたが、名古屋の椙山女学校から誘いがあり水泳を続けることが出来た。

母親は、
『どんなにいい記録を出しても自分ひとりの力で泳いでいると思ってはいけない。たくさんの人たちが後押ししてくれるから泳げるのだと思いなさい。』
またあるときは、
『やりかけたことはとことんやりぬかねばなりません』
と教えた。

秀子が女学校に入るとまもなく母が病死。その5ヵ月後に父親もなくなった。後には5人の兄弟が残され退学を決意した。
しかし、校長や友人や親戚の励ましで再びプールへ戻ってきた。
1932のロスオリンピックでは2位だったが、国民の期待に応えベルリンオリンピックに出場。見事金メダルを勝ち取った。すでに20歳を過ぎており、当時の女性選手としては異例だった。

1995年80歳の生涯を閉じたが、彼女の葬儀の際、出棺する車は『前畑がんばれ!前畑がんばれ!』の、あの実況放送の録音の叫び声が流され、その中を進んで行った。




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当時はみんなこんなカンジで踊ってました。
女の子もこんなカンジでブラックのテイストが一般に浸透してきました。
同時期にじゃネットジャクソンなんかも踊り狂っていて、歌を歌いたいのか踊りたいのかサッパリわからない状況でした。

Black Box-I Don't Know Anybody Else

Black Box-Ride On Time

いいです。
こんなカンジって懐かしくって。



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なんという豪華な!
豪華すぎる!
けど、ビヨンセとブリトニーと並べるとピンクは落ちるな・・・。

PEPSI (Britney Spears, Beyonce, Pink - We Will Rock You)

それでもなぁ・・・。
フレディー・マーキュリーのヴォーカルがどれだけユニークで素晴しかったか、これを見ると実感しますな・・・。
声の張りや伸び、カバーする音域や力強さ、躍動感!
あぁもういなくなっちゃったんですねぇ・・・。

A version of the song was performed by Beyoncé, Britney Spears and Pink in a Pepsi TV ad only shown in the UK and Brazil. Producer of this version was Brian May. The scenario was the Collosseum in ancient Rome; Pink, Beyoncé and Britney were female gladiators who defeated the emperor - played by Enrique Iglesias - by singing "We Will Rock You" together with the audience.

このコマーシャルがイギリスとブラジルのみで放映されたこと。
このCMのプロデューサーがブライアン・メイであること。
凄すぎる!


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Victor Vasarely (Vásárhelyi Győző) (9 April 1906, Pécs - 15 March 1997, Paris) was a French Hungarian-born artist often acclaimed as the father of Op-art. He was a very talented artist.

Working as a graphic artist in the 1930s he created what is considered the first Op-art piece — Zebra, consisting of curving black and white stripes, indicating the direction his work would take. Over the next two decades, Vasarely developed his style of geometric abstract art. His work won his international renown and he received 4 prestigious prizes. He died in Paris in 1997.


オプ・アート(op art)=錯視の知覚心理学的なメカニズムにもとづいて、特殊な視覚的な効果を与えるよう計算された絵画作品のジャンル。広い意味での「だまし絵」(トロンプ・ルイユ)の一種であるが、オプ・アートは原則として抽象作品である。エッシャーの平面充填や不可能図形のような具象性を残した作品は、通常、オプ・アートとはされない。正確には「オプティカル(光学的な、optical)・アート」と記されるべきものであるが、ポップアート(pop art)と語感がそろうこともあって、「オプ・アート」の方が好まれる。キネティックアートとも呼ばれたりもしてますが・・・。

オプ・アートに対する世間の認知を一気に高めたのは、1965年のニューヨーク近代美術館の展覧会“The Responsive Eye”(「感応する眼」展)であった。しかしそこで紹介された作家たちは、この時点ではすでに、その様式を確立していた。なかでも最も早くからオプ・アートに取り組んでいたのが、ヴィクトル・ヴァザルリである。

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いや~『サイテイ』の連中だったなぁ・・・。
どれくらい『サイテー』かというのはPV見てください。

2 Live Crew - Me So Horny

As Nasty As They Wanna Be (1989) became the group's biggest hit, largely because of the single "Me So Horny", which was popular in spite of little radio play, thanks, in part, to prevalent play on MTV. The song was based on a quote from a Vietnamese prostitute in Stanley Kubrick's Full Metal Jacket and took a sample from Mass Production's Firecracker.

まぁ、『猥褻』で裁判沙汰になり、『ルーク・スカイウォーカー』の名前でもルーカスとやらかしたりと騒ぎを起こして売上を上げる連中であると。
なんにしてもいかがわしい連中だ。
下卑た顔となめた口調と不遜な態度が鬱陶しい。

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大東亜戦争の私たちの認識を覆す言葉。
この言葉が真実なら私たちの受けた教育とはなんだったのだろう?

『日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない』サイヤムラット紙

Kukrit Pramoj
Maj. Gen. Mom Rajawongse (M.R.) Kukrit Pramoj (Thai คึกฤทธิ์ ปราโมช) (April 20, 1911 - October 9, 1995) was a Thai politician and scholar. He was the thirteenth Prime Minister of Thailand, serving in office from 1975-1976. He was a descendant of Rama II of Thailand and his consort who is from a Thai noble family, the Krairiksh.

私たちが一方的に悪者であったなんて決め付けはよろしくない。
私たちには一点の悪もないともいうつもりがない。
ただ謝罪を要求する人たちはいつも同じ人で、同じようにしか対応していなかったちょっと前の過去に嫌気がさしているだけ。

この言葉はだいぶ前に聞いて感動してたんだけど、やっと写真を探したので嬉しくてこのブログに載せました。



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BIBA!

おい!ビバだよビバ!
アールヌーボーリバイバル!

John McConnell1968

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Games of the XIX Olympiad Mexico 1968

走り高跳びのディック・フォスベリーが背面跳び(Fosbury flop)で金メダルを獲得。これを機に世界中で普及した。

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ハワイのアラモアナでチェック。
青山の店に比べると、よく言えば見やすい展開。
青山はごちゃごちゃさせすぎ。
アラモアナのは、ピンクが印象的でもっとシンプル。

でも、日本であのデザインならほかにも同じようなショップがあって目立たんでしょう。
それぐらい日本の店舗デザインは激しくきつい。
ていうか、アラモアナの環境・・・暗すぎ・・・。

ハワイも四度目・・・。初めて行ったのは10年前。
なんにも変わってねえなぁ・・・。

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スウェーデンの人だったのね~。と、今まで知りませんでした。
それにしてもアルバムの名前が“Raw Like Sushi”だったとき、『なめやがって!』と思ってました。

Neneh Cherry - Buffalo stance

Raw Like Sushi is the debut album by Neneh Cherry. She was one of the first female rappers who popularized the genre and made it more mainstream, because of this she was given the nickname "Black Madonna" in the United Kingdom.

The track "Buffalo Stance" was originally recorded for the single "Looking Good Diving" after was featured on the B-side. The single was not successful and disappeared into obscurity until Bomb the Bass remixed the single and became a hit reaching #3 in the UK, #3 in the Billboard Hot 100 and even reached #1 for two weeks in the Netherlands.



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Games of the XVIII Olympiad Tokyo 1964
やはり日本をデザインするなら日の丸。これに尽きる。
世界中から認知されているシンプルにして象徴的なデザイン。

勝手に国旗に順位をつけてるサイト発見!
The world's flags given letter grades

『世界は一つ東京オリンピック』

東京オリンピック開会式 入場行進


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1967の作品。作者(メーカー?)不詳。

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Still from the credit sequence for the film "From russia with Love",designed by Robert Brownjohn

007のサブタイトルってスキ。
なんか文学的な余韻があってイイです。
なかでも、この『ロシアより愛を込めて』は多くの作品で、その引用が多いところでは随分とインパクトがあったんだろうと想像します。
ロマンチックだし。


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『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』:日本テレビ系列-1985年4月14日~1996年10月6日

ドキュメントバラエティの元祖であり、「テレビとは真実を伝えるもの」という社会的な共通認識を、根本から打ち砕いた革命的な番組だったと評されている。現在では一般視聴者にも「テレビには演出やヤラセがある」という認識が広まっているが、この番組が放送された当時は「テレビに映っているのは真実」と信じるナイーブな視聴者がほとんどだったため、視聴者に衝撃と困惑を与えたと同時に大きな話題を呼んだ。現実なのかフィクションなのかパロディなのか不明な事柄をテレビカメラが執拗に追いかけ、事の真偽は全く不明なままであるにもかかわらず視聴者が興奮させられていくという図式は、以後の「電波少年シリーズ」や「いきなり!黄金伝説。」など数々の番組に大きな影響を与えた。最終回でたけしは「今のバラエティでやっていることは全てこの番組でやってきた」と、この番組がもたらした影響を自負した。
Wikipedia


元気が出るテレビ 「燃えろ!ヘビメタ 素顔もステキだ!!大会」

「しつこい高田~相沢会長 新婚旅行編」

「ジェット波越~林家ペーCM初出演~島崎スカイダイビング~井森絶叫」

「パンチパーマ軍団」

名もない市井の人々にスポットを当てて話題にし、様々な人気者を生み出した。従来のバラエティ番組は基本的に番組内だけで(出演芸能人だけで)ストーリーが進行していたのに対し、普通に生活している一般人を主役に祭り上げることで、番組の内容にリアリティが生じるという効果があった。「○○区にすごいそば屋のオヤジがいた!」、「信じられないほどお金持ちのお嬢様が実在した!」など、よく考えてみれば視聴者にとってどうでもいい企画も数多く放送されたが、バカバカしさとリアリティとの奇妙なバランスが高視聴率を呼んだ。

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Op Art advertisement for Danese,Published 1967

厳格なスタイルで知られる、イタリアを代表する工業デザイナー。ミラノ工科大学はじめ、多くの大学で教鞭を執る。
コンパッソ・ドーロ賞を4回受賞するなど、受賞歴多数。
1950年代初頭から視覚心理学及び3次元空間の知覚的構造の構築を研究。アーティスト、デザインの思想家、プロダクトデザイナーとして幅広い活動を精力的に行う。
ドリアデ、ザノッタ、カルテル、マジス、ダネーゼ、アレッシィ等、トップブランドの作品を数多く手がけ、これ迄に製作した作品数は1,600点を超え、その内29点はニューヨーク近代美術館の永久所蔵品に選ばれている。


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レベル42のベーシスト、マーク・キング。
バンド名を冠して語られるより、『ベーシスト』として多く語られる

Mark King developing and popularized the slap and pop style of playing the bass guitar. The slapping and popping style was developed in the 1970s by funk bassists such Larry Graham and further developed by jazz fusion bassists such as Stanley Clarke. King developed a rapid playing speed using this technique and introduced technical elements that enabled him to produce a mix of percussive effects while still playing a bass line. King's bass playing style is largely based on continuous 16th notes, a "machine-gun-style."

マーク・キングは、“スラップ・アンド・ポップ”の弾き方を生み出し一般的にしたと。
その演奏法は、1970年代にラリー・グレアムが生み出し、スタンリー・クラークがジャズフュージョンの環境で発展させたと。
それに『速さ』を加え、ベースラインを弾きながら、パーカッション的な効果を取り込んだと。
ま、それでキングのベースは16ビートのマシンガンスタイルといわれるようになったと。
(意訳:Phactory)

こういうのは百聞は一見に如かずだ。
見てください。すごいです。どこがどうなって音がでてるのかわからないですから。

level 42 mark king bass solo

すごいでしょ?
感動モンだし、鳥肌モンですよ・・・。



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リチャード・アヴェドンの写真集の表紙。
デザインは“Marvin Israel”1964
Nothing Personal, 1964. A collaborative book with James Baldwin.

http://www.richardavedon.com/

Avedon was born in New York City to a Jewish family. After briefly attending Columbia University, he started as a photographer for the Merchant Marines in 1942, taking identification pictures of the crewmen with his Rolleiflex camera which was given to him by his father as a going-away present. In 1944, he began working as an advertising photographer for a department store, but was quickly discovered by Alexey Brodovitch, the art director for the fashion magazine Harper's Bazaar. In 1946, Avedon had set up his own studio and began providing images for magazines including Vogue and Life. He soon became the chief photographer for Harper's Bazaar. Avedon did not conform to the standard technique of taking fashion photographs, where models stood emotionless and seemingly indifferent to the camera. Instead, Avedon showed models full of emotion, smiling, laughing, and, many times, in action.





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Le comité d'evaluation de la cuisine japonaise:日本食レストラン価値向上委員会

文化の国粋主義化との批判もあるが、これはまちがい。
マスコミのミスリードだけど、発信元が左のバイアスがかかっているので仕方なかろう。
それに、そういうネガティブキャンペーンらしきものもあったほうが説明の下手な日本にとっては好ましい状況。
つまりは『日本人にとって日本の食文化には誇りがある』という意味を発信していることになる。

http://www.cecj.fr/

それにしても、そういう措置を講じたくなる状況にはひどいものがある。そういう経験も何度かしているのでそんな連中を駆逐したいとも思っているけど、絶対不可能!もう無理!残念ながら無くなることはないでしょう。そういうことをしている人たちには文化に対するリスペクトなんかないから、逆にジャパニーズ・フュージョンとかモダン・ジャパニーズとか言うのではないでしょうか?

それでも、ハワイとかで今食べられているアジア料理の融合形態・・・『パシフィック・リム』みたいな形で融合すればいいのに・・・。



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エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』。
テオドール・モムゼン『ローマ史』。
この世界的に有名な二大ローマ史も「ローマの建国から滅亡まで」のすべての歴史を描いたものではない。

ヨーロッパの原点である古代ローマの全史(通史)を書くことに世界で始めて、たった一人で挑戦したのは日本人作家だった。
十五年という長き歳月をかけて――――。


と、最大級の賛辞を贈っている。
まさに快挙。
で、インタビュー記事なぞ↓

塩野七生「ローマ人の物語」15年かけ、ついに完結 : sannkei web

最初に湿っぽいことを記しておく。
塩野七生の本は父が生前よく読んでいた。で、10月に亡くなったが、最終巻を読まずに亡くなったのはさぞかし残念だったろう。

 「ルネサンスとは、1000年もの間キリスト教に導かれてきたが、欧州人の人間性はちっとも向上しないではないか、という問題意識から起こったものです。そこでルネサンス期の人々が注目したのがキリスト教以前の古代ギリシャと古代ローマだったのです。マキャベリは、宗教や哲学によって人間性は向上するものではない、と考えるローマ人のリアリズムに触れて《人間とは何か》を学び、善も悪も併せ持つという人間性の現実を直視したうえで、統治のあり方を考えるようになりました。私がマキャベリにひかれるのは、彼が人間に対してリアリズムに徹したまなざしを持っているからです」

『ローマ史』としないで『ローマ人の~』としたところが偉いところ。
『人』が歴史を作る、ということを描きたかったんでしょう。
素晴しい。


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どうなんだろう。
このヒトについては、実のところ今の今まで知らなかったのだ。
それが最近の本で知るところとなったのだが、実に痛快なのだが、痛快な人物に違いないのだが、この写真があるのとないのとでは大きく反応は違ってただろう。そうじゃないか?
一見映画俳優とでも見間違いそうなこの写真によるイメージの構築は大きい。サイコーにかっこいい。ダンディーだ。ハンサムだ。ちょいワルオヤジの雰囲気もかもし出している。今のセンスで言ってもかっこいい。
男性のスタイリングとしては普遍的なところ・・・内面的な、滲み出るような、或いはオーラを纏うかのような存在感に心酔してしまう。こうした気分はこの一枚の写真が作り上げている。良くぞこんな写真があったものだ!

そうしたビジュアルに表現された、このひとの持ち合わせていただろう本質的な部分というのがかっこいい。とされている。それでもいい部分と悪い部分もあるんだろうが、奥さんである白洲正子さんに言わせると、平和な時代向きのヒトではなかったということだ、時代の寵児といったところなんだろう。しかしながら基本的なところ、底辺にもっているところでの日本的な或いは武士道的なところがいまうけているのか?現代もレベルの差こそあれ動乱の時期だとも思うが、こうした人物を求めてしまっているんだろうか?

『プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか。…西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。日本も明治維新前までの武士階級等は、総ての言動は本能的にプリンシプルによらなければならないという教育を徹底的にたたき込まれたものらしい』
(『諸君』9月号1969(昭和44)年)


この『プリンシプル』はこのヒトを読み解くためのキーワードだけど、現代の拝金主義的なところ、「やったもんがち」的なところに警鐘を鳴らすものであろうし、また私たちが立ち戻らなければならない精神性は武士、侍に近いところにあるのかもしれない。

そんな堅いところ抜きで楽しめるテレビ番組の映像はコチラ↓

超偉人伝説 10分で知る"白洲次郎"

番組中もあったが、戦後処理で表舞台に出てきているが、そこでの言動が痛快だ!こんなヒトがいたのか!と感激するようなエピソードが山のように出てきた。

昭和天皇からダグラス・マッカーサーに対するクリスマスプレゼントを届けた時に、プレゼントがぞんざいに扱われたために憤激して「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置いてくれとは何事か!」と怒鳴りつけ、持ち帰ろうとしてマッカーサーを慌てさせた。マッカーサーは当時、神と崇められるに等しい存在だったが、白洲次郎に申し訳ないと謝った。

こうしたエピソードが国民の心にどう響くか?
儀礼的なところでの礼儀というもんに対しても『左翼』の人々にも伝わらないものだろうか?とか、考えたりしてます。
こうしたもんに対する左翼のヒトが書いた書評なり意見なり訊きたいんですがね・・・。

GHQ/SCAP民政局長のコートニー・ホイットニー准将に英語が上手いと言われ「あなたももう少し勉強すれば上手くなる」と逆襲した。

ジョークとかウィットを超越した次元で人間が一枚上手という感じだな。
これは誰でも真似できるもんではないけど、当時の皆卑屈になってた状況からすると普通なら『ありがとうございます』と返してしまいそうなところだが、流石は気骨のヒトだなと。

少資源国日本が生き残る道として、経済復興には産業政策を輸出主導型へ転換させる必要があるとし、商工省を改組し、通商産業省設立の中心的役割を果たした。それをなし遂げる政治力は「白州三百人力」と言われた。

仕事に対しての賛辞がこうした形で残されていくのってすごいね。
いろいろ問題もあったんだろうケド。

当時、飛ぶ鳥を落とす勢いであった首相の田中角栄に対してさえも、ルールを守るということを第一にした。白州が理事を務めるゴルフクラブに、ある日秘書らしき若者から「これから田中がプレイしますのでよろしく」 と挨拶があった。応対した彼が「田中という名前は犬の糞ほどたくさんあるが、どこの田中だ」と返したところ、「総理の田中です」と返答があった。「それは、(ゴルフクラブの)会員なのか?」と彼が尋ねると相手からは「会員ではありませんが、総理です」と返答があった。「ここはね、会員のためのゴルフ場だ。そうでないなら帰りなさい」そう言い、そっぽを向いたとのことである。

クラブのトイレに「洗面所のタオルを無断で持ち出さないでください」という理事長の張り紙があったにもかかわらず無視した田中に「おい、お前は日本語が読めねえのか」とやった。

田中に対しては、クラブの会員でない秘書が総理秘書だからといってプレイしようとしたことを拒否した一方で、田中が手ぬぐいを腰に差すのは、合理的で良いと是認するなど「プリンシプル」に合致した公正な判断をしている。白洲は、田中に対してはその人物を認めつつも、「あの人は若いころあまりにも金に苦労しすぎた。」と余りに金銭的に苦労したことを惜しんでいた。


ロッキード事件が起こると、各新聞は「容疑者の田中は…」と書きたてた。次郎は新聞社の社長に向かって「田中角栄さんを叩くのはいいですが、あなたの新聞は四年前彼を今様太閤として、「戦後日本が生んだ英雄」とおだてていました。今、容疑者田中と書くなら、なぜその前に『本誌はかつて彼を英雄扱い致しました、これは読者を誤らしめる不正確な報道でした』と、お詫びと訂正を載せてからにしないのですか」と主張した。

このあたりは今でもそうだ。
マスコミの記事垂れ流しについてはむかつくし、世の意見をミスリードした責任をどうとるのかってのはまったく今でも反省がない。

中曽根康弘とSPが立ち寄った際、コースから閉め出されたSPと新聞記者が双眼鏡を用いて中曽根の様子をうかがっていたところ、「なんだ?バードウオッチングか?(中曽根は当時政治的立場をよく変えるため「風見鶏」と揶揄されていた)」と強烈に皮肉った。

爆笑モンだ(笑)
当時の記者クラブの大笑いが聞こえてきそう。

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ガレージハウスの進化系。或いはガレージが商業化したものという理解で間違っていない。
ハウスをどう捉えているかが問題になってくるが、音楽への電子機器の侵略により演奏なしに自宅での打ち込みによる音楽の作成が可能になった。同時期の問題としてサンプリング或いはブレイクビーツの発展があるが、これらにより自由なビートの作成と演奏家による技術のデータ化が進み新たなジャンルが構成されたと見る。

Waters lived in New Jersey, but later moved to Washington, D.C., to study computer science at Howard University. After graduation, she worked as a computer technician at the Washington, D.C., Parole Board. She took her demo tape of "Gypsy Woman" to a Music Business Forum, and the only people to call her about it were a trio of club disc jockeys who formed the Basement Boys.

Crystal Waters - Gypsy Woman [1991]





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アーサー・ベイカー(Arthur Baker、1955年4月22日-)はアメリカの音楽プロデューサー、DJ。1980年代前半の音楽シーンでリミックスの手法を広めた人物の一人。

1970年代からボストンでDJとして活動を始める。1981年にニューヨークへ移り、1982年にアフリカ・バンバータのプロデュースを手がけたのをきっかけに、ヒップホップ界隈で名を上げた。さらに当時のDJ界においてゲリラ的かつ職人的な作業だったリミックスの手法が着目され、ヒット曲の数々のリミックスを手がけるようになる。1985年には南アフリカ共和国のアパルトヘイトに反対するアーティストによる企画シングル「サン・シティ」の共同プロデュースを手がけた。

ちなみにニューオーダーの中ではコンフュージョンはそんなに好きな部類のもんではない。もうちょっと暗めの耽美的なのが好み。

コンフュージョンはベースが効いていないのが気になると思うけど、これはクラブで廻してBASSを効かせたときちょうどいいようにしてあるため。

New Order: Confusion



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「ジャスコ」の名称の由来は、新会社の名称を従業員によって公募した結果、「日本ユナイテッド・チェーン株式会社」が選出され、その後英語訳である(Japan United Stores Company.) 」の頭文字を取って日本読みした物である「ジャスコ(JUSCO)」が正式採用されたものによる。

ふ~ん・・・。たいそうな正式名称だったんですね。知りませんでした。

そんな御立派な名前があるにもかかわらず、今どきの潮流で『衣料品』のスペースを『Aeon Style Store』にしていってるみたいです。ジャスコの名前も量販店として消費されて陳腐化してるんで辛いところでしょう。イメージ的にもうダメですもんね。

世間にユニクロだのライトオンだのシマムラがこんだけ出てくるとジャスコの存在意義って非常に希薄で、消費者の立場で考えてもなんの価値もないって感じでしょうか?日本の消費者の購買行動における意識ってのは世界でもNo.1だと思うんですが、名前を変えてみただけとか、陳列方法を変えてみただけでどうなるもんでもないと思うのです。
その上、スタイルストアを標榜してみても実際のところそんなにスタイルを提案できてない点において、よりいっそう『スタイル』というコトバの意味が失われていく結果になりかねません。

そうした問題もありますが、同じGMSの競争の問題もあるでしょう?
例えば、ヨーカドー。関西在住の人間にとってはなじみがなかったんですが、八尾への出店を皮切りに爆発的に出店するのではないですか?そうなるとちょっとやばいかも。この会社のスーパーの売場の思想とジャスコのとはぜんぜん違っていて、(関西人の目には)非常に新鮮です。イオングループも安泰とはいえないでしょう。過去、ワタシが学生の頃は『ダイエー』VS『西友』だったんですが、まったく栄枯盛衰です。

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この人らをハウスと捉えていいのか?という疑問。
では、ハウスとはどう定義するかだが、こうある。

ハウスの特徴としては極めて短い同じ音、同じメロディーラインを何度も何度も繰り返す小節が、曲の随所に見られ、聴く者に陶酔感を与えることにある。また殆どがアップテンポなリズムで、BPM(beats per minute;音価の項参照)にしておよそ120前後のテンポをとる。90年代初頭にはダウンテンポの、さらに90年代中頃にはアップテンポなハウスミュージックも誕生し、ダンスミュージックの一形態に止まらない広がりを見せている。

ハウスには「四つ打ち」と称される、四分音符で1小節に4つのバスドラム音(キック)が鳴る楽曲構成が基本である。この基本的構成が心臓の鼓動を想起し、一定のリズムを刻んでいくことに起因する踊りやすさ、陶酔性を発生させている。このような傾向が後述する民族音楽との親和性の高さなどを生んだと言っても過言ではないだろう。

Wikipedia

で、ついでなんでハウスの発生についてもWikipediaから抜いておこう。さすがよく書けてるなぁ。

ニューヨークの「パラダイス・ガラージ」のDJであったラリー・レヴァンの友人で、自らも有能なDJであったフランキー・ナックルズは、シカゴに新たにオープンした「ウェアハウス」の主力DJとしてニューヨークから招かれ、彼のDJは独特のミックス手法で高い人気を博したが、そこで彼がプレイしている音楽を地元のレコード店が「ハウス・ミュージック(ウェアハウス・ミュージック)」と称して販売したのがハウスという名称の始まりと言われている。

この時点での「ハウスミュージック」はフィラデルフィア・インターナショナルレーベルやサルソウルレーベルの、いわゆるフィラデルフィア・ソウル(通称フィリーソウル)およびその類似品であった。この成功の後、ナックルズはウェアハウス経営者との衝突からウェアハウスを去り、シカゴの別の場所でパワープラントというクラブを始める。ウェアハウスのオーナーは「ウェアハウス」を「ミュージック・ボックス」と改名し、新たにカリフォルニアからロン・ハーディーを後任DJとして招聘する。ナックルズとハーディーの間の競争により、シカゴはダンス音楽界の中でその地位を確立する。

彼ら二人のプレイスタイルはレヴァンと彼のプレイしたいわゆる「ガラージュ」と呼ばれるスタイルの強い影響下にありながらも、ドラムマシンの使用やよりアグレッシブな選曲の傾向を持ち、のちにハウス音楽と呼ばれるスタイルの原型を築いた。またシカゴの地元のミュージシャンたちがこのシーンに影響を受けて安価なドラムマシンを使用した曲を作曲、それらの曲が上記の上のクラブで流されることにより、大きな影響を持つことになった。

ハウス音楽はドラムマシンを使用して短いフレーズを繰り返すスタイルが確立されてからも、フィリーソウルのスタイルを模したものが非常に多かった。その意味では、少なくとも1980年代までのハウスはソウルミュージックの派生物であったとも言えよう。また、先駆者であるレヴァンや彼の「パラダイス・ガラージ」の客層と同様に、初期のシカゴ・ハウス音楽シーンもDJや客層は黒人のゲイが中心であった。

1980年代後半以降、シカゴ・ハウスの隆盛やガラージュ人気の世界的な波及に伴い、世界各地でハウスを主体としたイベントの開催やアーティスト・DJの登場が相次ぎ、徐々に黒人以外の人種層にも浸透していくこととなる。決定打となったのは、1987年にイギリスのアーティストであるM/A/R/R/Sがリリースした『パンプ・アップ・ザ・ヴォリューム』の世界的なヒット、及び1988年にイギリスを中心に発生したムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」の2つであろう。この2つの出来事を境にするかのようにしてアシッド・ハウスが大流行し、ハウスの趨勢は徐々にアメリカからヨーロッパに移行していくことになる。


で、テクノトロニックについて。


"Pump Up The Jam" became an unexpected international smash, eventually hitting #2 on the Hot 100 in late 1989/early 1990, becoming the first major house music record to break through to the pop mainstream. This success led to the debut of Pump Up The Jam - The Album, which featured tracks by Ya Kid K and MC Eric (born Eric Martin, Wales) as well as a live opening-act slot for Madonna and appearances on Saturday Night Live, The Arsenio Hall Show, and It's Showtime At The Apollo, among others. It was at this time that Kamosi stepped forward as Technotronic's real singer.


Technotronic - Pump Up The Jam [1989]

抑揚のない或いは抑制されたシャウトと言った感じを、うまく表現できないなぁ・・・。メロディー本来の持っている起伏を抑えてかかる展開性って感じか?基本的には沈んでいくような陰鬱さとフラッシュバックするようなリフに動的なボーカルが絡む珠玉の名品。

Two follow-up singles "Get Up! (Before The Night Is Over)" and "This Beat Is Technotronic" also hit the Top 10 in many countries, including the US, and the album eventually climbed into the Top 10 of the Billboard 200.

Technotronic - Get Up! (Before The Night Is Over)=

Technotronic - This Beat Is Technotronic [1990]

Technotronic-Rockin' Over The Beat 1989

基本的な部分をPump~と共有した一連の作品。しかしながらもよりダンス的な明るさを持った仕上がり感。Pump~はヨーロッパ的な耽美的な部分を孕んだ作品だが、これらはむしろアメリカ的な、商業的な感じが否めない。それでもアルバムで聴いたときのテクスチュアは揃っていて、アルバム全体として完成度が高いといって過言ではない。


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壮大にして華麗。重厚な空間性を保ちつつでありながら軽快なリズム。
時代の寵児モーツァルトの自由な創造性がいかに古典の中で突出した才能であったかが対比として強い光を発する。

F・マーリー・エイブラハム演じるアントニオ・サリエリを中心として、トム・ハルス演じるモーツァルトの物語を描く。モーツァルトの才能を妬み殺害したと語る年老いたサリエリの回想というスタイルをとっている。天才とは何か、を考える上で見逃せない作品である。舞台版では再現不可能なプラハでのロケシーンや、オペラ『後宮からの誘拐』『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』のハイライト・シーンが挿入されるなど、映画版ならではの見どころも多い。

スタートでサリエリの独白を展開するが、それを聴く癲狂院の神父の表情がいい!狂った老人の心の深遠を覗こうとして、悪魔の姿を自分の鏡に見たかのような絶望を最後には心の中に孕んでしまうという展開がいい!サイコーだ。

オペラの上演シーンの撮影に使われたプラハのスタヴォフスケー劇場(別名:エステート劇場。当時はノスティッツ劇場と呼ばれていた)は、実際にモーツァルト自身の指揮で『ドン・ジョヴァンニ』の初演が行われた劇場である。

断絶のない歴史に尊敬を感じるエピソード。
まさにそこで行なわれたという事実が人間の営みに永遠の命を与える。
伝統と革新が進歩という流れの中でお互いを喪失することがなく保持されている叡智に感激する。

屋内撮影の数シーンに蝋燭の照明がメインに使われているが、撮影監督のオンドリチェクは最初『バリー・リンドン』でツァイス製の衛星写真用レンズを使って蝋燭照明だけで撮影したスタンリー・キューブリックにレンズの貸し出しを依頼し断られ、蝋燭自体の光量を増すため芯が複数本有る蝋燭を特注して撮影に臨んだ。

いいですよね。モーツアルトって。
親しみやすいメロディーのものとか、荘厳なもの、劇的な変化のあるものとか、なんかバラエティーに富んでてすごいバリエーションをもっていて音をおもちゃにしてるっていう感覚。
だからこそ『悪魔』っていわれるんでしょうけど・・・。
それにしても、胎教にいいとか子供の成長にいいとか、そんな副作用をでって上げてひと商売してる輩が多いですな。

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愚かな企業。
雪印を他山の石とできなかったダメな企業。
どうして雪印のときに自社の引き締めが出来なかったのか?
という感想と、
マスコミを中心として、今なら何を言ってもOK的な感じも恐怖。
そこまでダメな会社でもないんだろうケド、ここまで盛り上がってしまったらもう流石にダメか?と心配

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Fashion pictured ny Norman Parkinson using double-exposure with New York street signage, for "Queen",14 August 1963

"A photographer without a magazine behind him is like a farmer without fields"
『載っけてくれる雑誌のない写真家なんて、畑のない百姓だ。』

Norman Parkinson (born London April 21, 1913, died 1990) was a celebrated English portrait and fashion photographer.

He was schooled at Westminster School. He began his career in 1931 as an apprentice to the court photographers Speaight and Sons Ltd. In 1934 he opened his own studio together with Norman Kibblewhite. From 1935 to 1940 he worked for Harper's Bazaar and The Bystander magazines. During the Second World War he served as a reconnaissance photographer over France for the Royal Air Force. In 1947 he married the actress and model Wenda Rogerson. From 1945 to 1960 he was employed as a portrait and fashion photographer for Vogue. From 1960 to 1964 he was an Associate Contributing Editor of Queen magazine. In 1963 he moved to Tobago, although frequently returned to London, and from 1964 until his death he worked as a freelance photographer.


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ショップ自体、特にこれと言ったものはないんだけど、ロゴが美しい。
ある意味コンセプトとしてロゴを理解してショップに入ると失望する(笑)
・・・なんでなんだろう?こんなに明快なのに・・・。
残念です


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