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喜味(きみ)こいしのコピー

東京で暮らして3年経過しました。

今日の朝のニュースは、林家三平の結婚について。
関西人のワタシにとって、そんなたいそうなニュースか?ってなもんで。
それよりこいし師匠でしょぉ!?と思っていましたが、会社に行く時間になっても、ワイドショーではそのニュースは出ず。たぶん関西のニュース、ワイドショーはそっちだったろうと思ったわけです。

なんやったら特番ちゃうかっ!?
っちゅ-ぐらいのネタ。

果たして東京でどれだけの人がいとこいのしゃべくり漫才を知っているか・・・。

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久しぶりに行ってみた。
今シーズンは見送りか(笑)

シャツのボーダーは欲しいような気がするんですがもひとつ本気になれない・・・。
袖先がアロハシャツに切り替わってるやつなんですが・・・・。
悩むほどの金額でもないなともおもったり。

ブラックの冬物のジャケットも欲しいのですが、これもシーズン的に・・・。
赤のチェックのを黒く染めて裾だけ染め残したようなヤツ。

自分の消費マインドがデフレスパイラル過ぎて(笑)

東郷

我が家で大人気の肉じゃが・・・いや、

1870年から1878年までイギリスのポーツマス市に留学していた東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューの味を非常に気に入り、日本へ帰国後、艦上食として作らせようとした。しかし、ワインもドミグラスソースも無く、そもそも命じられた料理長はビーフシチューなど知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが始まりと言われている。


日露戦争においては、連合艦隊を率いて日本海海戦で当時屈指の戦力を誇ったロシアバルチック艦隊を一方的に破って世界の注目を集め、アドミラル・トーゴー(Admiral Togo 、東郷提督)としてその名を広く知られることとなった。当時、日本の同盟国であった英国のジャーナリストらは東郷を「東洋のネルソン」と、同国の国民的英雄に比して称えている。日本では、大胆な敵前回頭戦法(丁字戦法)により日本を勝利に導いた世界的な名提督として、『陸の乃木 海の東郷』と乃木希典陸軍大将と並び称され、日露戦争の英雄として国民の尊敬を集めた

海軍士官として明治4年(1871年)から同11年(1878年)まで、イギリスのポーツマスに官費留学する。東郷は当初鉄道技師になることを希望していた。イギリスに官費留学する際、最初は大久保利通に「留学をさせてください」と頼み込んだが、大久保は「平八郎はおしゃべりだから駄目だ」と言い断った。次いで西郷隆盛に頼み込んだところ、「任せなさい」と快諾、ほどなく東郷のイギリス留学が決定した。東郷の才能を軍人にあると見込んだ西郷の人物眼の確かさをも物語るものであろう。

帰国途上、西郷隆盛が西南戦争を起こして自害したと現地で知った東郷は、「もし私が日本に残っていたら西郷さんの下に馳せ参じていただろう」と言って、西郷の死を悼んだという。実際、東郷の実兄である小倉壮九郎は、薩軍三番大隊九番小隊長として西南戦争に従軍し、城山攻防戦の際に自決している。

錬度を上げることに熱心で聯合艦隊解散の辞に「百発百中の一砲能(よ)く百発一中の敵砲百門に対抗し得る」という言葉を残している。

ワシントン軍縮条約の結果主力艦の保有比率が対米英6割と希望の7割より低く抑えられたことに憤激する将官達に向かって、「でも訓練には比率も制限もないでしょう」と諭したと言われる。(伊藤正徳著「連合艦隊の最後」)



正月の帰省の車中、子供がDVDでガンダムを見ていた。
ワタシもちょうど同じ年頃の頃、ガンダムを見てプラモをたくさん作っていたけど、うちの子はあまりプラモを買い与えないからか、すでにプラモに色がついているからか、そもそもプラモがはやってないからかプラモは作らない。そういえば私はザクのパイプにエナメル線まいて筆の毛先を短く切ったやつで汚したりしてたもんだ。

ガンダムに関していえば「ORIGIN」を漫画で揃えていってて、こんなおっさんもたくさんおるんだろなと(笑)。

話は戻るが、やはりうちのガキも赤い彗星の人がいちばんよかったらしい。
自分がニュータイプだといわないあたりは、今の子なのか、それとも私がアホの子だったからなのか。

久しぶりに見て、シャアの思い上がりも懐かしく、まだまだ続くキャスバルさんの歴史に思いをはせるのでありました。

横沢のコピー

元フジテレビの横澤彪さんが亡くなった。

朝からなんだか考えさせられるような感じで、悲しいわけではなく喪失感とかそういうのでもなく、ただテレビの一視聴者として、時代の流れを感じてしまった。MANZAIブームの昔から2度目のブームも経て、テレビというもの自体が求心力を大きく失った現在、テレビってなんだったんだろうかと思ってしまったわけです。
たとえば見たいテレビがあってチャンネル争いをしたとか、家にテレビが2台あるようになって父親と別の部屋でテレビを見るようになったとか、ビデオでテレビ番組をコレクションしたりだとか、そういった一切が80年代に起こっており、感傷に浸るわけではないけど懐かしい気持ちになったわけです。

楽しくなければテレビじゃない。

という時代があったなぁと・・・。それからいったいテレビは楽しかったのかなぁ・・・・とか。
横澤班のテレビはよく見てたし、その後の石田班もよく見たなぁ・・・・。
で、今もおんなじことやってんだなぁ~と思った瞬間、進歩が無いなぁと思ってしまったわけです。
メディアミックスとかそんなのはやってるのは知ってるし、企業が設けるためにやってる話じゃなく、お笑いにせよドラマにせよ中身はどんなに変わったのかというとさほど変わってない。

いま、テレビとか新聞とかマスメディアが信頼感や信用を失いつつあり、視聴者離れが進んでいる(らしいですが)ような時代に、これからテレビは新しい何かができるんだろうか?と。
何かやってくれるのか?と。
インターネットと携帯電話は、十分に私たちの生活を変えたんですが、コンテンツじゃあない。
テレビのコンテンツをYOUTUBEで見てるだけ。

何かの変革が今からテレビで起きていくような気がしました。
起きていくように期待いたします。


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