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Anonymous=「無名の」「作者不詳の」

ワタクシはデザインは絶対的な価値ではないと信じている。だからアノニマス・デザインについてはそれ自体を『素晴らしいモノ』であるとは絶対に評しない。いまこの号で取り上げられたものもこの『時代』が価値を見出したもので生まれた瞬間からアノニマスとして評価されたものでもないし、次の時代では『そんなこともありましたね・・・』と言われるものだと思う。デザインも時代に見出されるようにデザインを評価する概念も時代が作るものだと思う。

これからのデザインは、物を捨て去った後のことまで考えねばならないだろう。今日のデザイナーは人類文化に役立っているとはお世辞にもいえない。
 機械時代になって、その製品に醜いものが多いということは、デザインというものがあるからだと言われても仕方がない。
 殆どのものがデザインされているにも拘わらず、その殆どが醜いとは、結果的に見て、今日ではデザインという職業がないほうがよいかもしれぬとまで考えられるのである。
 もっとも、今日の機械時代においても、素晴らしいデザインが、僅かだが存在し、また生まれつつあることも事実である。この少数の素晴らしいデザインが、デザインの名誉を僅かながらも救ってくれているのだ。
 もっともデザイナーがいなくても、各技術が有機的にうまく融合されている場合がある。これはアノニマス・デザインと言われていて、大変美しいものである。野球用のバット、グローブ、化学実験用のフラスコ、ビーカー、或いは人工衛星等。
 アノニマス・デザインは、今日の汚れたデザイナーが到底タッチできないほど、素晴らしく神聖なものである。
 民藝も、アノニマス・デザインの一種である。
 アノニマス・デザインに比べて、デザインされているものが殆ど醜いとは、それを構成しているコンポーネントの融合に何か有機的でない不純の異物が混ざっているからであろう。

柳宗理『デザイン 柳宗理の作品と考え』1983用美社



意識してしようと意識していなくても、デザインという言葉を使おうと使うまいと、モノはデザインに支配されているし、カタチを見て取ってなにかを語る行為もデザインの範囲じゃない?

と思う私。

だから実はコノジジイはダイッキライ!

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