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バッジョ

1994年アメリカ大会。

こんなに残酷な結末をワタシは今まで見たことが無いし、そして今まで心に残っている。


「イタリアの至宝」

1990年イタリア大会、グループリーグ第3戦目のチェコスロバキア戦において、中盤から単独ドリブル突破を仕掛け、ディフェンダーを次々と抜き去ってゴールを決めた。この得点は、大会のベストゴールのひとつと数えられ、バッジョはイタリア代表の新たな旗手として世界に名を知られることになった。

1994年アメリカ大会、前年の1993年にバロンドールを受賞していたこともあって、周囲の期待は大いに高まっていた。ところが本大会直前に右足に怪我を負ってしまう。精彩を欠くバッジョへの風当たりは厳しかった。決勝トーナメント1回戦のナイジェリア戦でも先制を許し、反撃の切り札で投入したゾラが退場処分となり1点を追い掛ける苦しい展開になる。しかし、試合終了直前の89分、ついにバッジョが劇的な同点弾を決め、延長戦でもPKを沈めてエースの真価を証明した。同点弾は冷静にゴール右隅を狙ったバッジョらしいシュートで、地元新聞は「アズーリを帰りの飛行機のタラップから引きずり下ろした」と見出しを打って賞賛した。

その後も、眠りから醒めたようにバッジョはゴールを量産した。準々決勝のスペイン戦でも再び終了直前にカウンターから決勝点をあげて、2-1で勝利。準決勝のブルガリア戦でも続けざまに芸術的な2得点を挙げて2-1と勝利した。決勝トーナメントの準決勝までの3試合でチーム6得点中5得点、どのゴールも試合を逆転・決定するもので、酷評から一転して救世主扱いとなった。

決勝のブラジル戦はバッジョとロマーリオのエースFW対決(大会得点王争い)が見所のひとつであった。灼熱のようなむせ返るほど高い気温の中、バッジョは強行出場したものの精彩を欠き、試合はワールドカップ決勝史上初のPK戦となった。ブラジルがリードを保ったまま最終キッカーであるバッジョの番となるが、彼はゴール左上にはるか高く打ち上げてしまう。これによってイタリアは優勝を逃した。



バッジョ2

2010年のジャパンが負けたとき思い出した。
ずいぶんと重みは違うけど・・・。

「PKを決めても誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない」
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