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この人らをハウスと捉えていいのか?という疑問。
では、ハウスとはどう定義するかだが、こうある。

ハウスの特徴としては極めて短い同じ音、同じメロディーラインを何度も何度も繰り返す小節が、曲の随所に見られ、聴く者に陶酔感を与えることにある。また殆どがアップテンポなリズムで、BPM(beats per minute;音価の項参照)にしておよそ120前後のテンポをとる。90年代初頭にはダウンテンポの、さらに90年代中頃にはアップテンポなハウスミュージックも誕生し、ダンスミュージックの一形態に止まらない広がりを見せている。

ハウスには「四つ打ち」と称される、四分音符で1小節に4つのバスドラム音(キック)が鳴る楽曲構成が基本である。この基本的構成が心臓の鼓動を想起し、一定のリズムを刻んでいくことに起因する踊りやすさ、陶酔性を発生させている。このような傾向が後述する民族音楽との親和性の高さなどを生んだと言っても過言ではないだろう。

Wikipedia

で、ついでなんでハウスの発生についてもWikipediaから抜いておこう。さすがよく書けてるなぁ。

ニューヨークの「パラダイス・ガラージ」のDJであったラリー・レヴァンの友人で、自らも有能なDJであったフランキー・ナックルズは、シカゴに新たにオープンした「ウェアハウス」の主力DJとしてニューヨークから招かれ、彼のDJは独特のミックス手法で高い人気を博したが、そこで彼がプレイしている音楽を地元のレコード店が「ハウス・ミュージック(ウェアハウス・ミュージック)」と称して販売したのがハウスという名称の始まりと言われている。

この時点での「ハウスミュージック」はフィラデルフィア・インターナショナルレーベルやサルソウルレーベルの、いわゆるフィラデルフィア・ソウル(通称フィリーソウル)およびその類似品であった。この成功の後、ナックルズはウェアハウス経営者との衝突からウェアハウスを去り、シカゴの別の場所でパワープラントというクラブを始める。ウェアハウスのオーナーは「ウェアハウス」を「ミュージック・ボックス」と改名し、新たにカリフォルニアからロン・ハーディーを後任DJとして招聘する。ナックルズとハーディーの間の競争により、シカゴはダンス音楽界の中でその地位を確立する。

彼ら二人のプレイスタイルはレヴァンと彼のプレイしたいわゆる「ガラージュ」と呼ばれるスタイルの強い影響下にありながらも、ドラムマシンの使用やよりアグレッシブな選曲の傾向を持ち、のちにハウス音楽と呼ばれるスタイルの原型を築いた。またシカゴの地元のミュージシャンたちがこのシーンに影響を受けて安価なドラムマシンを使用した曲を作曲、それらの曲が上記の上のクラブで流されることにより、大きな影響を持つことになった。

ハウス音楽はドラムマシンを使用して短いフレーズを繰り返すスタイルが確立されてからも、フィリーソウルのスタイルを模したものが非常に多かった。その意味では、少なくとも1980年代までのハウスはソウルミュージックの派生物であったとも言えよう。また、先駆者であるレヴァンや彼の「パラダイス・ガラージ」の客層と同様に、初期のシカゴ・ハウス音楽シーンもDJや客層は黒人のゲイが中心であった。

1980年代後半以降、シカゴ・ハウスの隆盛やガラージュ人気の世界的な波及に伴い、世界各地でハウスを主体としたイベントの開催やアーティスト・DJの登場が相次ぎ、徐々に黒人以外の人種層にも浸透していくこととなる。決定打となったのは、1987年にイギリスのアーティストであるM/A/R/R/Sがリリースした『パンプ・アップ・ザ・ヴォリューム』の世界的なヒット、及び1988年にイギリスを中心に発生したムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」の2つであろう。この2つの出来事を境にするかのようにしてアシッド・ハウスが大流行し、ハウスの趨勢は徐々にアメリカからヨーロッパに移行していくことになる。


で、テクノトロニックについて。


"Pump Up The Jam" became an unexpected international smash, eventually hitting #2 on the Hot 100 in late 1989/early 1990, becoming the first major house music record to break through to the pop mainstream. This success led to the debut of Pump Up The Jam - The Album, which featured tracks by Ya Kid K and MC Eric (born Eric Martin, Wales) as well as a live opening-act slot for Madonna and appearances on Saturday Night Live, The Arsenio Hall Show, and It's Showtime At The Apollo, among others. It was at this time that Kamosi stepped forward as Technotronic's real singer.


Technotronic - Pump Up The Jam [1989]

抑揚のない或いは抑制されたシャウトと言った感じを、うまく表現できないなぁ・・・。メロディー本来の持っている起伏を抑えてかかる展開性って感じか?基本的には沈んでいくような陰鬱さとフラッシュバックするようなリフに動的なボーカルが絡む珠玉の名品。

Two follow-up singles "Get Up! (Before The Night Is Over)" and "This Beat Is Technotronic" also hit the Top 10 in many countries, including the US, and the album eventually climbed into the Top 10 of the Billboard 200.

Technotronic - Get Up! (Before The Night Is Over)=

Technotronic - This Beat Is Technotronic [1990]

Technotronic-Rockin' Over The Beat 1989

基本的な部分をPump~と共有した一連の作品。しかしながらもよりダンス的な明るさを持った仕上がり感。Pump~はヨーロッパ的な耽美的な部分を孕んだ作品だが、これらはむしろアメリカ的な、商業的な感じが否めない。それでもアルバムで聴いたときのテクスチュアは揃っていて、アルバム全体として完成度が高いといって過言ではない。

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Phactory さん、こんばんは。何時頃だったか正確には思い出せないんですが、確か95,6年頃だったかなぁ・・・。ブレイクビーツが再評価され、ラウンジ物のコンピが出始めたような、そんな頃に、ハウスで(個人的に)ヒップ・ハウスを再評価していたんです。アフリカ・バンバータとか、もう聴いてダセ~よ!!って方が勝ちみたいな、そんな感じで昔のレコードを漁っていて、ここぞ!というときのハズシわざ的に回してたんですね。そんなこんなでこのTechnotronicにもお世話になりました。懐かしい~!!
【2007/05/17 06:23】 URL | atomico #/DEWh80E[ 編集]















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