ADMIN TITLE LIST
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

475px-WEB_DuBois_1918.gif


世間にはちょっとイイハナシ的な日本人のココロをくすぐるようなハナシが転がっています。
単純に好いようにとるオメデタイ人間でなければ、どういった人間が何の目的で発言したか確認しておいたほうが良いでしょう。

1936年、黒人運動の指導者デュボイスは、満州に1週間、中国に10日間、日本に2週間滞在して、「ピッツバーグ・クリア」紙に「忘れがたい経験」と題したコラムを連載した。

デュボイスが東京の帝国ホテルで勘定を払っている時に、「いかにも典型的なアメリカ白人女性」が、さも当然であるかのように、彼の前に割り込んだ。

ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボイスへの対応を続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向いたのだった。フロント係の毅然とした態度はこれまでの白人支配の世界とは違った、新しい世界の幕開けを予感させた。

「母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個人を、日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。日本人は、われわれ1200万人のアメリカ黒人が「同じ有色人種であり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」ことを、心から理解してくれているのだ。

さらに、この旅で、デュボイスは日本人と中国人との違いを悟った。上海での出来事だった。デュボイスの目の前で4歳くらいの白人の子どもが、中国人の大人3人に向かって、どくように言った。すると、大人たちはみな、あわてて道をあけた。これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。

上海、この「世界一大きな国の世界一立派な都市は、なぜか白人の国によって支配され、統治されている。」それに対して、日本は、「有色人種による、有色人種の、有色人種のための国」である。


デュボイス(1868年2月23日 - 1963年8月27日)は、アメリカ合衆国の黒人共産主義者、公民権運動指導者および社会学者。

日露戦争において帝政ロシアを破った日本に感銘を受けたデュボイスは、これを「有色人種のプライド」の発露の一例であると見た。ピューリッツァー賞を受賞したジャーナリスト、デイビッド・レバリング・ルイスによると、デュボイスはこれを機に疋田保一による「黒人プロパガンダ工作(Negro Propaganda Operations)」へ自ら協力するようになる。

疋田保一は、ハワード大学他の黒人大学の学生と会話をするためにアメリカへ渡った際、デュボイスの日本に対する好意的な意見を耳にする。1936年に疋田と日本大使はデュボイスを同僚の学者と共に視察旅行へと招き、日本や中国を訪れさせた(当初はソビエト連邦も行き先に含まれていたが、デュボイスの当地における連絡者であったカール・ラデックがスターリンにより粛正されたためキャンセルされた)。中国に訪れた際にデュボイスは、中国の白人侵攻への服従とそれに対する日本の反抗が日中の不仲の原因であると述べ、中国人に対し日本人を解放者として歓迎するように求めた。日本によるこのプロパガンダ工作の有効性は、デュボイスが入ったアフリカ系アメリカ人の学会が満州事変における日本軍の南満州占領・併合を肯定していたことにも確認できる。
WIKIPEDIA

まぁこんな具合で、日本に対する賛辞もなんかハラにあってのことと思っておいたほうがいいと思います。
単純に評価を受けて喜んでいてもね・・・。





スポンサーサイト


















管理者にだけ表示を許可する



| HOME |

Design by mi104c.
Copyright © 2017 Design without design, All rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。